やがて、ポラードはまたもや以前のような小食に戻った。それは、回復したシービスキットに騎乗して、その回復振りをハウワード夫妻やトム・スミスに見せるためだった。
レッド・ポラードはシービスキットに跨って、馬場のサーキットを1周した。ハウワードたちは驚いた。そして、本格的な調教を再開することにした。騎手はウールフに決めた。
入る距離を徐々に伸ばしてみたが、大丈夫だった。
そこで、今年の(1940年度の)サンタアニータでのレイスに挑戦してみることにした。レイスがない日を選んで競馬場にシービスキットを運んで、本番さながらに追い込みをしてみた。シービスキットは、以前のような速さと瞬発力、持久力をすっかり取り戻していた。
その様子をこっそり取材しに来ていたのは、マクゴーリンだった。こっそりと偵察していたが、ハウワードたちに見つかってしまった。マクゴーリンは、ばつが悪そうに質問した。
「なかなかいい走りの馬じゃあないか。サンタアニータ・ハンディに出走させるのかい」
「まさか、今年やっと2歳になったばかりの新馬だよ。出れるわけないだろう」
だが、馬体といい、走りといい、シービスキットの特徴を専門家が見逃すはずはない。
で、その日のラディオの競馬情報では、マクゴーリンが「超特ダネ」情報を鳴り物入りでシービスキットの復活を発表した。
ところが、シービスキットのサンタアニータへの出走は、ポラードには内緒で進めていた計画だった。まだ騎乗できるほどに回復していないポラードの気持ちを傷つけないようにするための配慮だった。だが、ポラードはラディオで聞いてしまった。彼はいたたまれなくなって、松葉杖をついて牧場から駅まで行き、列車と車ででサンタアニータまでやって来た。
そして、厩舎の前でシービスキットやハウワードたちと出会った。
シービスキットは、親友の来訪に興奮した。ポラードはシービスキットの鼻面をなでて興奮を抑えながら、ハウワードに「のけ者にしたのはひどい」と抗議した。ポラードは自分がシービスキットの復活戦に騎乗したかったのだ。
だが、ポラードの右脚はまだ完治していなかった。もし無理をして、骨折部が打撃を受ければ、こんどは本当に歩行すらできなくなると医者に言われていたからだった。
再度医者に診断させたが、騎乗は論外だという判断だった。ポラードは、硬い革製の脚部の補装具を用意していたが、それで馬に跨っているときの衝撃や振動の影響を除去できるとはいえ、レイス中のアクシデントまでは防ぎようがなかった。
ハウワードは、とにかくポラードの安全を第一に考えていた。まだ若いポラードの今後の生涯を考えるハワードとしては、リスクを冒すわけにはいかなかったのだ。けれども、マーセラとウールフは、ポラードの心情を優先すべきだと思っていた。意欲と勇気をここで挫くわけにはいかない、と。
マーセラは夫にポラード騎乗の決断を懇願した。ウールフも、足を潰してしまうというリスクよりも、安全のためにポラードの心が潰れてしまうことの方が深刻だと決断を迫った。ウールフは騎手として、ポラードの心情を痛いほどわかっていたのだ。
結局、ハウワードはシービスキットの騎手をポラードとして出走登録した。この情報は、またもやマクゴーリンをつうじてメディアに広がり、西海岸一帯の話題をさらった。「なんと、馬と騎手とのダブルの復活だよ!」と。
レイス当日、サンタアニータには5万5千人の観客が詰めかけた。競馬場の史上最高の観客数だった。
ポラードはシービスキットをスターティングボックスのなかに入れて、スタートの合図を待った。すると、横合いからウールフの声。「やあ、レッド。俺は観客の側に回るなんてまっぴらさ。で、騎乗する馬を変えたんだ」
ポラードは笑顔で応えた。
そして、スタート。中盤までは抑えて走る作戦だった。馬群集団の後ろに回った。あるいはポラードの右脚が集団のなかでのぶつかり合いや接触で打撃を受けることを避けるためかもしれない。
だが、バックストレイトの半ば過ぎにスパートをかけた。馬群の最後尾につけていたウールフと並んで一言かけてから、ポラードはシービスキットを加速させた。そして、コーナーを抜け出るときには、先頭の馬を追い抜こうとしていた。
集団を引き離して、シービスキットは先頭でゴールに向かった。
その場面で映像は終わる。人びとが馬から力をもらったことへの感謝の言葉とともに。