レッドの父親は、毎週電話して家族の消息を知らせると言ったものの、その後2度と連絡はなかった。
ジョン・ポラードの生活は荒れていった。それでも、競馬の騎手になりたくて、馬主に雇ってくれるよう交渉したが、提示されるのはいつも劣悪な条件だった。長い不況の時代には、馬主は馬も騎手も金儲けの手段=道具としか見ていなかった。
馬主たちは、乗馬服や鞍などを有料で騎手たちに貸し出し、その料金を出走報酬や賞金から差し引いた。だから優勝しなければ、騎手の手元にはほとんど何も残らず、運が悪ければ借金が積み重なっていった。
それでも、若者の失業者はちまたにあふれていて、騎乗機会にあぶれた騎手たちもたくさんいたから、そんな劣悪な条件でもポラードは何とかしがみつくしかなかった。
金がなくなって、しかも騎乗機会にも恵まれなければ、その日の糧を得るため、ジョンは酒場や広場、街角での賭けストリートボクシングのボクサーをやった。にわか仕立てのリングで殴りあう2人の若者のうち、どちらが勝つかに小銭を賭けるという、けちな賭博がいたる町々でおこなわれていた。
サイモン&ガーファンクルの曲『ボクサー( The Boxer )』に描かれているような、貧しく惨めでうらぶれた光景がそこに繰り広げられていた。
貧しい若者たちが、その日を生きるために、なれないリングに入って殴り合いを演じる。互いに日ごろの鬱憤や満たされない思いを込めて殴りあう。しかし、やがて打ちのめされていく。強い相手によって、そして、無慈悲な経済によって。
ところが、レッドは運悪く、その試合中に右目に打撃を受けて傷め、まもなく失明してしまった。
とはいえ、レッドはカリフォーニア州やメクシコ国境の向こう側の競馬場や調教厩舎を渡り歩いているうちに、やはり天才的な才能を持つ騎手、ジョージ・ウールフと出会った。彼はその一帯で数々の勝鞍記録を打ち立てていた。そして、レッドとは気が合った。
ジョージは気さくな紳士で、穏やかな話しぶりと巧みなユーモアで騎手仲間と接していた。レッドとは生涯の友情を保つことになった。
不況のなかでサーカス団は解散してしまったのか、トム・スミスは定職もなく、西海岸一帯の山野を1人で彷徨していた。それでも、変わり者の調教師として臨時に雇われて、わずかな給料を得ることもあった。
それでも、彼は野山で野宿したり食料を確保する術を知っていたので、マイペイスで生き延びることはできた。
相変わらず、馬が大好きだった。
あるとき、腱を切ってしまった馬を射殺しようとしていた馬主から、「銃弾を無駄に使わなくても、俺が引き取るよ」と言ってその馬を譲ってもらった。
トムは馬を引き取ると原野をともに旅しながら、やさしくいたわって養生した。筋肉の炎症を抑える薬草を練って傷んだ脚に湿布し、体力の回復や血行を促進する栄養価の高い草や実を食べさせた。馬は着実に回復していった。