財務体質の悪化に直面したアメリカの有力銀行は、債権=資金の強引な回収に奔走した。ことに戦時の破壊がひどかったドイツの復興を支援するためにドイツの銀行(銀行団)に貸し出していた巨額の資金を突然引き上げた。ほかの国々でも同じだった。
これをきっかけに、ヨーロッパ全域で銀行間の信用循環のネットワークの連鎖的な崩壊が始まった。ヨーロッパ金融の国際ネットワークが分断され、有力企業の株価は没落して、企業財務状態は極端に悪化していった。
金融=信用崩壊が企業の財務や業績を切り崩していった。
そうなれば、アメリカからの民間企業への投資も引き上げられ、金融市場はなおのこと萎縮し、崩壊していった。
そうなると、ヨーロッパ(日本も)の有力諸国家は、「開放的な貿易」による成長の道を投げ捨てて、国家装置の強力な介入と排他的なナショナリズムを随伴させて、閉鎖的なブロック経済を組織化し始めた。そのブロックの地理的範囲、とくに資源獲得市場と工業製品販売市場の空間的広がりを拡大するために、軍拡競争と植民地・勢力圏の争奪戦に乗り出していった。
世界経済の心臓部となっていたアメリカでも、経済の収縮、つまり雇用機会の収縮=失業、銀行の破綻倒産、農業不況…と、世の中の窮乏化は恐ろしい勢いで進んだ。単なる不況( recession )ではなかった。ディプレッションというのは、収縮、萎縮、つまり押し潰されていく状態を意味する。それに「大」がつくのだ。
レッドの父親の経営するレンガ工場は倒産し、一家は収入も住むところも失った。
仕事ばかりか、財産や住居を失い、家族ぐるみでその日の糧を得るためにひたすら流浪する、そういう人びとの群れが、北アメリカ大陸を移動していた。保護も何の当てもなく、貧困は飢えをもたらし、飢えは肉体と精神を蝕み、多くの人びとから人生の目標や尊厳を奪い取っていった。離散する家族もいたるところで見られた。
そんな流浪の日々のなかで、レッドはある日、農村地帯の草競馬に騎手として出場して勝ち賞金を手に入れた。その金を父親に渡して、家族は何とか飢えをしのいだ。だが、その幸運は、レッドを家族から引き離すことになった。
翌朝、レッドの両親は彼をある牧場主の農園に連れて行った。レッドを牧場主に引き合わせると、レッドに家族と別れてこの牧場に残るよう言い含めた。彼のすぐれた乗馬能力を認めた牧場主が、レッドを牧童兼調教助手として雇うことになったのだ。
「これで、お前は飢えなくて済む」
いやがるレッドの懇願を振り切って、両親は別れていった。父親はレッドに高価な書籍(手元に残った蔵書の全部)を手渡していた。ディケンズ、シェイクスピア、ワーズワース…。
レッドにとって、その本に読みふけるときが、唯一、家族の絆を思い返しす「よすが」となった。
この時代の悲惨な状況について、一読をお勧めしたいのが、ジョン・スタインベック、『怒りの葡萄』です。大不況のなかで、没落し、離散していく農民一家の物語です。農民の立場から、この大不況がどれほど深刻な事態であったかが描かれています。
零細農民に対する資本家的大農業企業家や銀行の残酷な仕打ち、市場システムの無慈悲さ、連邦政府や州政府の無策ぶり・・・などが、「マルクシストもかくや」とばかりに批判的でリアルな筆致で描かれています。
ところが、大企業や政府の権力への嫌悪からか、スタインベックは左翼ではなく、共和党極右派に属することになりました。アメリカでは往々にして、資本主義的経済システムへの痛烈な批判者が、大きな権力を嫌うあまり、企業の権力だけでなく、政府の社会福祉政策や介入をも徹底的に拒否する右翼となるのです。