この記事の目次

はじめに

1 経済学批判体系の構想

イデオロギー批判の難しさ

《資本》の出版編集の来歴

考察の方法

経済学批判の全体構想

2《資本》に叙述され…

商品・貨幣論は世界市場を…

価値の源泉としての労働

認識の方法論の問題

権力構造としての価値法則

3〈資本の生産過程〉の仮定

純粋培養された資本主義

マルクスが目にした現実

〈資本の支配〉と生産過程

ソヴィエト・マルクシズム

重層的な〈資本の支配〉

4「資本の生産過程」の論理

剰余価値生産の2形態

絶対的剰余価値の生産

相対的剰余価値の生産

技術革新と産業革命

5 価値としての資本の運動

可変資本と不変資本…

価値形成と価値移転

生産管理の指標…原価計算

生産管理の指標…原価計算

7 労働価値説の理論史

国家と貿易

8「純粋培養」モデル…

共産党宣言

…〈世界市場的連関〉

「独占資本…金融資本」…

ローザ・ルクセンブルク

…マルクスの限界

9 世界市場的文脈で…

世界経済のヘゲモニー

世界市場とヘゲモニーの歴史

地中海世界経済

長い過渡期

考察視座の再確認

ヨーロッパ諸国家体系…

ネーデルラントの独立闘争…

■ネーデルラントの独立闘争とヘゲモニー■

  さて、15世紀末からフランス王権とイタリアでの権力闘争=戦争を繰り広げたハプスブルク王朝は、膨大な財政支出を余儀なくされた。16世紀のカール(神聖ローマ皇帝位も持つ)の時代になると、フランス王権と角突き合わせる戦線がさらに拡大した。膨大な財政負担はフランス王室にものしかかっていた。こうして、16世紀半ばになると、両王室の財政は破綻してしまった。

  ヴァロワ家フランス王権は、この財政破綻が躓きの石となって弱体化し統治機構は麻痺し崩壊し始めた。ことにプロヴァンスやガスコーニュ地方の諸都市は、王権の支配からの離脱をめざすようになった。
  おりしも、ヨーロッパ全域で宗教改革=宗派戦争が展開していた。フランス宮廷は強硬派のカトリック派有力貴族に牛耳られ、王国内でのプロテスタント派や自立化する都市や地方を抑圧し始めた。反宮廷派、反王権派は、宗教的ないし教義上の理由からではなく、政治的・イデオロギー的理由からプロテスタント派にくみするようになる。こうして、熾烈な宗派戦争(ユグノー戦争)が始まり、王権は衰退、解体していった。
  ヴァロワ王朝は没落し、ブルボン家が王位を継承する。ブルボン王朝は、貴族や各都市や各地方が激しく分裂闘争するガリアに新たな権威と王権装置を創出しながら、まとまった王国に統合していかなければならなかった。

  一方、エスパーニャの王もカールからフェリーペへと交代した。エスパーニャ王室は財政収入を増やすために、フランデルンやネーデルラントでの集権化を進めて、王権の権威を強化し税収を増大させようとした。さらに、カトリック=ローマ教会の権威を強化すべく、在地の教会や修道院の役員(司教や修道院長など)の首をすげ替えて、ハプスブルク家やイエズス会の意向に沿って配置しようとした。ローマ教会組織は、エスパーニャ王権の統治機構の一部をなしていたのだ。
  ところが、それまでハプスブルク王朝は、ネーデルラント諸地方――フランデルン、ホラント、ブラバント、フリースラントなど――では、都市や地方貴族領主、聖職者などの在地支配者の固有の自立的権力を認めて、統治や課税を継続してきた。また教会や修道院役員についても、それまでは在地支配層の家門から選出することにしていた。集権化は、こうした在地勢力との妥協を撤回するものだった。
  だが、ハプスブルク家は直属の統治装置――とりわけ徴税機構や異端審問裁判所――を組織して、旧来から妥協してきた在地支配層の権力を掘り崩そうとしていた。都市では有力商人(都市貴族)だけでなく、間接税の増徴に不満を持つ下層民衆も抵抗や反乱を企てるようになった。
  ハプスブルク家は、反乱や抵抗、蜂起に対して、異端審問裁判所やカスティーリャから派遣した軍によって弾圧し封じ込めようとした。
  こうして、在地支配層(都市商人貴族と領主貴族)とハプスブルク家との闘争は熾烈化した。反乱の拠点はアムステルダムやブリュージュ、アントウェルペンなどの有力諸都市であった。低地地方ネーデルランツでは領主貴族たちの多くは都市に居住し、商人貴族と密接に癒合して強固に凝集した在地支配階級をなしていた。1579年、反乱派の諸都市はエスパーニャ王権に対抗するユトレヒト同盟を結成した。こうして、独立革命闘争が始まった。都市の中下層民衆もまた、カルヴァン派をはじめとするプロテスタント派によって組織化され、反乱独立闘争に合流していった。これがヨーロッパで最初の市民革命だ。
  海峡の対岸に位置するイングランド王権は、エスパーニャ王権と敵対していたので、ユトレヒト同盟を支援した。こうして、ローマカトリックのエスパーニャとプロテスタントのネーデルラント=イングランド同盟との戦争という形になった。

  このとき、ネーデルラント諸都市の商業資本は、北西ヨーロッパの主要な製造業を支配し、その原料・食糧調達システムから販売市場にいたる再生産体系を征圧・掌握していた。ホラントやゼーラントの貿易商人と船舶は、北海やバルト海の主要な海運・貿易路を支配統制し、いまや地中海での貿易にも影響力を拡大していた。地中海方面で勢力を失いつつあるイタリア商人(海運)に取って代わろうとしていたのだ。
  ネーデルラントの諸地方は、有力都市を権力中心として独立の政治的・軍事的単位としての州=ラントを形成していた。それまで諸都市は極めて強い政治的・軍事的独立性を保持しながら、貿易機会・利潤機会をめぐって互いに激しく競争し合っていた。
  それが、エスパーニャ王権に対する反乱=分離独立のための同盟(ガン条約、ユトレヒト同盟)をつうじて、ゆるやかに統合していくことになった。ただし、ユトレヒト同盟はネーデルラント連邦共和国を構成したが、主権は各州にあって、各州のなかでもアムステルダムやレイデン、ユトレヒトなどの有力都市が州の統治権力を牛耳っていた。ユトレヒト同盟は、ゆるやかな政治的=軍事的同盟でしかなかった。近代国家とはとても言えない状態だったが、その結集力=凝集は、しかし、当時のヨーロッパのどの王国・王権よりもはるかに強かった。財政的力量も頭抜けていた。

  ヨーロッパ世界経済におけるユトレヒト同盟の最優位によって、諸都市の商業資本と製造業が獲得する利潤はどこよりも巨額で、しかも安定度が最も高いネーデルラントの金融(商業投機・投資)市場にはヨーロッパ中から余剰資金が集まってきた。ことに都市政庁の財政運営は、商業会計の原則にしたがって――今では当たり前だが――収支のバランスに配慮して管理されていたために、州や都市の公債は、ヨーロッパで最も信頼できる投資先となっていた。
  ほかのエスパーニャやフランスの王権や宮廷の財政運営は、文字通り「どんぶり勘定」だった。収入の予測や計測なしに、目の前にある資金を使い放題使って、赤字になれば、身分評議会に諮って特別税や協力金を承認してもらっていた。まともな徴税装置すら持っていなかったのだ。「収支」という観念は、どこにもなかった。唯一、商人が完全に支配するネーデルラント諸都市政庁と州だけが、商業会計原則にしたがって、財政運営を管理していたのだ。

  エスパーニャとネーデルラント諸都市同盟とは戦争状態にあったが、貿易では密接に結びついていた。エスパーニャの港から新世界植民地に向けて輸出される工業製品の大半は、ネーデルラント商人やこれと同盟するイングランド商人の仲介を経て調達されていた。アメリカ植民地からヨーロッパのエスパーニャ領に送られてきた貴金属の大半も、軍事的に敵対するネーデルラントやイングランドに輸出製品の代価として支払われていた。つまり、エスパーニャ王権は、戦争の敵に対して最大の利得機会を提供していたのだ。
  そして、エスパーニャ王軍の兵器のかなりの部分も、何とネーデルラント商人によって売り渡されたものだった。この軍需によって、ホラント商人はエスパーニャからしこたま利潤を獲得していた。
  というのも、ナショナリズムとか「国民国家」、国境という観念や制度は、まだ遠い将来の話であって、王国の版図を強固に排他的に組織化・統合して、敵対者に対峙するという仕組みは生まれていなかったからだ。

  してみれば、国家や国民を単位とする観点では、この当時の資本蓄積や世界市場での権力闘争、戦争を考察、分析することはできない。つまり、マルクスが言ったような「全地球=世界市場を舞台とするヨーロッパ諸国民のあいだの通商戦争」というような現象は、まだ存在していなかった。しかし、政治体の間の軍事的闘争や資本蓄積競争は明白に存在していたのだ。
  政治体としての国家は存在していたが、国民なるものはまだ形成されていなかったということだ。
  ただし、「国民」というものを、王権や都市政庁を中核として組織されたエリート支配層の政治的凝集状態と見るならば、国民は存在したともいえる。この場合、国民とは統治諸階級ないし権力ブロックである、ということになる。
  実際、当時のドイツやフランスの統治観念では、 Volk、natio、gens という用語は、生まれながらの有力家系に生まれて統治をめぐる特権を持つ人びとの集合という意味を持っていた。王や宮廷の顧問官、領主貴族、都市門閥、そして王国や帝国あるいは領邦の身分代表評議会(等族議会)に参集できる人びと、いうことになる。ラテン語を語源とする natio や gens には「生まれ」とか「生来のもの」という意味合いが含まれている。

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