さて、前宣伝として「あらすじ」を提示しておいて、ちょっぴり詳しい物語の展開や背景の分析を始めるとしよう。
物語の冒頭。映画会社の次の映画作品の企画会議に参加した若手脚本家、ピーター・アップルトンはうんざりしていた。
炭鉱事故で奇跡的に生還した炭鉱労働者たちの物語で、ピーターがあらすじを書いた。だが、次に制作する作品を検討する企画会議では、やたらに感動場面を散りばめて観客の涙を誘おうとするあまり、物語の筋立てと状況設定は、どんどんピーターの原案から遠ざかっていった。
とにかく、ディレクターやプロデュサーたちは、これでもかこれでもか、というように切羽詰まり、追い詰められるような場面――これをシナリオ業界の用語で「クリフハンガー」と呼ぶ。「絶壁に吊り下がるようなハラハラ場面」という意味で――を押し込もうとした。観客の感動と涙を誘おうとして、あざとい場面や状況、人物を次々に設定していく。
ピーターはハリウッドの商業主義には辟易していた。だが、大学を出て映画界で脚本家( screen-writer )としてキャリアを積み上げていこうとするピーター・アップルトンにとっては、この作品は、「B級映画」から「A級映画」のシナリオ作家へと飛躍する最初のチャンスだった。映画会社の上役やプロデューサーたちに、媚を売っておかねばならない。
というわけで、会議の場で社長から意見を求められたピーターは「すばらしい」と答えるしかなかった。
物語や背景について自分の信念とか思想を盛り込もう、などという考えは、ピーターにはそもそも最初からなかった。映画業界でそこそこ名の売れた脚本家としての地位に上昇することだけが、彼の目標だった。
それでもとにかく、各方面に媚を売ったおかげで彼の原案は採用され、大手の映画会社との契約を結ぶことができそうだった。
■赤狩りの嵐■
ところが、1940年代末から50年代初頭にかけて、アメリカ、とりわけハリウッドやマスメディア、ショウビズネスの世界では、議会の「非アメリカ的活動の調査委員会」による圧力と圧迫が強まっていた。というのも、マスメディアは大衆にメディア企業によって選別された情報を流すイデオロギー装置だからだ。
偶然の結果なのか、それともワシントンで誰かがハリウッド顔負けの政治ショウの脚本を書いたのか、議会とFBI、そして政治によって操られたマスメディアによる「コミュニスト狩り」の嵐が吹き荒れていた。メディアによる劇場効果を狙った衆愚政治の最たる成功例だった。
議会の委員会に召喚された映画人や芸能人たちは、査問委員によっていたぶられ難詰され、コミュニストあるいはそのシンパとしてのレッテルを貼られた。そして、レッテルを貼られそうになったほとんどの人びとが、議会委員会が提示したモデル文書通りの「反省文」「懺悔分」「謝罪文」に署名し、追及から逃れるために、知り合いや友人の名を書いた「ブラックリスト」を提出しなければならなくなった。つまりありもしない証拠を捏造しての密告(誣告)を奨励、強要するメカニズムが働いてたのだ。
信念を曲げずに署名と密告を拒否した少数の人たちは、映画界やマスメディアでの職や地位を奪われ、追放されていった。有名な犠牲者のなかには、チャーリー・チャップリンがいた。
「謝罪文」や「ブラックリスト」の原案は、委員会の指導部と非告発人の弁護士などとのあいだでの裏取引をつうじて「雛型」が用意されるのだった。ひとたび、友人や同僚を裏切る者が出現すれば、誰もが猜疑心や裏切りや欺瞞の渦のなかに巻き込まれてしまうのだった。
多くの人びとは、これは「この時代の通過儀礼だ」と割り切って、それまでの信念や友情、信頼関係にすっかり蓋をして、署名し名指しして、地位と仕事を守ることに血眼になった。