1950年代前半、さまざまな新聞た雑誌、書籍が出版され、テレヴィジョンの登場によってメディア報道が過剰化しているアメリカ社会――今に比べれば、まだずっと穏やかだったが。一方で表現手段、コミュニケイション手段が多様化し発達していながら、他方で議会主導の思想弾圧と統制によって表現や思想の自由が抑圧された政治状況。
そういう状況下で、連邦議会公聴会でのピーターの言動は、報道をつうじて大きな波紋を呼び起こし、人びとの意識を大きく揺り動かした。
メディアや多数の民衆が心の底では希求しながら、勇気がなくて表明できなかった意見をピーターは明らかにした。公聴会の会場を出るまでに「メディアのヒーロー」になっていた。
だが、ピーター自身は周囲の騒動が目に入らなかった。「これで収監か」と落ち込んでもいた。
彼は、押しかけるメディアの列を逃れるように、社長や弁護士とともにタクシーに乗り込んだ。
車中で社長は「ピーター、これからどうするんだい」と尋ねた。
「刑務所に持っていくための衣類や日用品を荷物にまとめます」と答えた。
「何言っているんだ。君は今やヒーローだ。君を収監すれば、君を非道な動きと戦う殉教者にしてしまうことになる。そんなことはできないさ」
社長はご機嫌だった。というのは、今や彼は、非道な委員会に単身立ち向かった、アメリカ中に名を知られた若者を自社の脚本家に雇っている立場になったのだから。ピーター・アップルトンの名前が載った作品は、今後、多くの観客やメディアを惹きつけるはずだと胸算用していたのだ。
弁護士が話に割って入った。
「彼らは今、振り上げた拳の下ろし場所に困っているよ。そこで、取引を申し出てきた。
ピーターにはお咎めなし。君が釈明答弁のなかで、学生時代に付き合っていた女性の名前を出したことで、委員会に協力的だったと評価しているよ。ブラックリストのなかの1人分の名前が確証されたということでね」
ピーターは当惑した。 「そんなバカな。 じゃあ、ぼくは彼女の名前を出したことで無罪放免なのかい。その女性を犠牲にして――当局に差し出したことで――、ぼくは自由になるんであれば、ひどい裏切りだ。ああ、なんてことをしてしまったんだ」
「気にするな。
その女性は今、某有名テレビ局でニュウズキャスターをしている。その彼女が、前にやはり召喚を受けて、地位と仕事を守るために、君の名前を当局に売り渡したんだから。これで、チャラさ」
ピーターはさらに当惑した。
何ということだ。委員会も委員会だが、マスメディアの人たちもその人たちで、委員会の脅しに屈してありもしない罪を認めて形ばかりの謝罪をし、自らの自由と引き換えに友人たちや昔の仲間を売り渡し、コミュニストやそのシンパのリストに書き加えていたんだなんて…。欺瞞と虚偽が連鎖し合って循環して、結局、思想や表現の自由を押しつぶしていく風潮。
とにかくも、こうしてピーター・アップルトンの映画脚本家としての日常生活は戻ってきた。しかも、連邦規模で著名人になったピーターの存在感はいや増し、発言力は強まった。
とはいえ、映画会社は映画上映に人びとを動員して利潤をかさ上げするため、コマーシャリズムによる経営原理を相変わらず貫いている。彼らはピーターが原案をつくった物語や構成、状況設定、人物設定を、より多くの観客を引き寄せるために容赦なく変更し、エピソウドや人物を付け加え、あるいは削り取っていく。そういう、利潤原理で束縛された企業経営の現場の風景は、少しも変わっていなかった。
今日もピーターは憮然としながら、映画会社の企画会議で、自分の原案が無慈悲に切り刻まれ、フラケンシュタインの怪物のような「継ぎはぎ」だらけのグロテスクなものに作りかえられていく有様を眺めていた。
「これが、自由を回復して、ぼくが求めていた仕事なんんだろうか?
なんか違うな…」と。