そして、町長が企画した「ルーク生還」祝意会の土曜の夜がやって来た。
町の人びとは、続々と広場に集まってきた。
多数の参加者を前にして、コール町長は「ルーク」の生還を祝うメッセイジを述べた。それは、戦争後、すっかり沈滞してしまったローソンを、「ルークの生還」という象徴的な出来事をきっかけとして活性化させる取り組みに立ち上がろうというものだった。
「ルークの生還」という奇跡は、暗く沈んでいた町が再興するための「一筋の光明、希望の光」なのだ、と。
コールはスペンサーの楽団に呼びかけて、ジャズの演奏を開始させた。クラリネット、トロンボーン、ベイス(コントラバス)、ドラム・パーカッションからなる若者たちのバンドだった。参加者に演奏に合わせて踊ってもらおうという企画だった。
スペンサーは「最初にまずアデルと「ルーク」に踊ってもらおう」と呼びかけた。
拍手で迎えられてはにかみながら、おもむろに若者はアデルの手を取って踊り始めた。軽やかで巧みな踊り方に、アデルは驚いた。
「あら、ルーク、踊りがすごく上手になったわね。どこで習ったの」
答えは返ってこなかった。
やがて、参加者全員の踊りが始まった。
ひとしきり演奏が終わると、町長はある老夫人を演壇に招いて紹介した。
クラシックのピアノ教師をしていた女性だった。その彼女の最優秀の弟子がルーカスだったのだ。彼女は、若者にピアノを演奏してほしいと頼んだ。
だが、若者は自分にピアノが演奏できるのかと当惑し思い悩んでいた。それでも、老婦人がグランドピアノの前に座って「ルーク」を誘い、「私がはじめの部分を弾いて誘導してあげるから」と言い出すと、若者は断るわけにもいかず、ピアノの前に座った。
老女が弾き始めたのは、フランツ・リストの「ハンガリー狂詩曲第2番」だった。だが、鍵盤に手を置いた若者は戸惑うばかりだった。だが、老婦人の誘うままに鍵盤に指を這わせているうちに、指が勝手に動き始めた。
ただし、それはリストの楽譜とはかけ離れたスィング風ジャズにアレインジした曲だった。とても乗りの好い見事な演奏だった。すぐにスペンサーたちがジャムセッションを始めた。軽妙に楽しく町の復興を祝うようなスィングで、参加者たちはとても楽しそうに踊り始めた。ものすごく盛り上がった。
ところが、くだんの老婦人は怒りだしてしまった。
「まあルーク、なんというひどい演奏。リストに対する冒瀆だわ!。
私が教えていた頃は、あなたはすごく生真面目に楽譜どおりに演奏していたのに。誰が、そんな弾き方を教えたの?!」
「ルーク」の演奏法とは違う? 町の人びとはいぶかしがり始めた。
そのとき、ハリーの映画館の上映技師兼支配人のエメットが前に出てきて大声で告げた。
「俺が教えたのさ!」
人びとはほっとして喜び、笑顔になった。
じつはエメットは、このとき若者がルークではないことを知った。というのも、ルークはクラシックピアノの名手だったが、ジャズ・スウィングにはまったく対応できなかったのを体験していたからだ。けれども、エメットにとっても、ハリーや町の住民にとっても、若者がルークであり続けていてほしかったのだ。
ところが、ボブは若者を疑惑の目で見ていた。彼は、祝賀会ののち、若者に殴りかかり、「おまえはルークとは違う。何を企んでいるんだ。もし、町の人びとの気持ちを裏切るようなことがあったら、許さないぞ」と言い捨てて立ち去った。