ところが、町の人びとの祝福にもかかわらず、記憶を失ったままの若者は当惑と混乱のなかにいた。彼自身のなかには、ルークとしての記憶が少しも残っていなかったからだ。
ハリーとルークの住居は、荒れ果てた映画館《 THE MAJESTIC 》の2階部分にある居住用空間にあった。ルークもそこの1室に居住することになった。
ハリーは心からルークの生還を喜んでいて、若者に「この映画館を再建しよう」と提案した。だが、自分が何者なのかもつかみかねている若者は、当惑気味に「廃墟同然のこの劇場がもとに戻るわけがない」と、そっけない返事を返した。
若者は記憶喪失によってアイデンティティ危機に陥っていたのだ。
数日後、スタントン医師のもとに愛娘のアデルが戻ってきた。カリフォーニア大学のロースクールを修了した彼女は司法試験を受けにいっていたのだ。アデル自身は試験についてかなり自信を持っていた。
だが、アデルの帰省について、スタントンは複雑な気分だった。
息子の生還に有頂天になっているハリーにスタントンは忠告した。
「ルークは、戦場に赴いてから今まで9年半も行方が知れなかったんだ。その間、彼はどこで何をしていたんだ。今はこの町に帰ってきているが、9年半の間、ルークには彼自身の生活があったんだよ。
今だって、彼の失踪を心配して待ち続けている人たちがいるかもしれない。それは、彼の妻や子どもかもしれないじゃないか。この町での生活とそれまでの生活とに折り合いが付けられなかったら、どうするんだ。喜んでばかりはいられない」と。
スタントンとしては、アデルが一度は恋人=フィアンセを失ったひどい悲しみを味わっていること、そして、ここでルークが出現したことをどう受け止めるかについて、心配していた。
■「再会」■
とはいえ、自然成り行きでアデルは若者と出会ってしまった。一度失ったフィアンセとの「再会」だった。
そして、アデル自身も、ルークに生き写しだが、過去の記憶がなく、彼女についての記憶もない若者との「再会」にぎこちない想いを抱いた。
ひっかかりを感じながらも、アデルは若者とデイトを重ねて、何とか過去の記憶を取り戻させようとした。彼女は、2人の思い出の場所に案内した。
岬の丘にたつ灯台、市庁舎の地下室、昔の散策路などを一緒に巡り歩いてみた。
若者としては、聡明で才気煥発な美女が自分のフィアンセだったという状況は、戸惑いながらも、このうえなくうれしい過去だった。記憶は戻らなくても、美しいアデルに強く惹かれていった。
岬の灯台に行ったとき、若者はアデルに、なぜ法律家を目指すのかと尋ねた。アデルの答えは、子どものときに観た映画「エミール・ゾラの生涯」がきっかけだったというものだった。
この映画は、フランスの文学者・思想家、エミール・ゾラの人生を描いた作品で、とりわけユダヤ系フランス人将校のドレフュスが冤罪に陥れられたときに、新聞に誣告と冤罪の陰謀を告発する主張を投稿し、ドレフュスの弁護のために論陣を張った闘いが、生き生きと描き出されていたという。そのゾラの人権擁護・偏見批判の弁舌に感動して、弁護士になる夢を持つことになったというのだ。
じつは、この記憶障害の若者はピーター・アップルトンである――そこで、以下ではこの若者を「ルーク」と表記する――。彼は映画の脚本家であるから、過去の秀作映画については詳しい。その記憶は残っていた。そこで、彼はアデルが暗誦したゾラのセリフをいっしょに口ずさんだ。
そして、若者は、市民権の擁護という信念を持つ、この若い美女にますます惹かれていくことになった。
ところで、2人は、子ども時代に忍び込んで遊んだという市庁舎の地下室に入り込んだ。アデルにとっては懐かしい品々が置かれていた。そのなかに、シートカヴァーで覆われた大きな塊があった。
若者はその覆いを取り除けてみた。すると、この町から出征して戦死した――あるいは行方不明で戦死扱いの――若者たちの使命が土台に刻まれた、若い兵士の銅像だった。合衆国政府から町に贈られたものだった。
だが、多くの若者を失った悲しみに打ちひしがれた町――住民や町長――は、それを地下室深くしまい込んだままにしていた。「最大の戦勝国」としてのアメリカ国家の中央政府は戦勝を偉業と自ら讃え、戦死者を英雄に祭り上げて「美化された記憶」として留め、歴史に刻印しようとして銅像を贈ったのだろうか。だが、記念碑は息子を失った人びとにとっては心の痛みを再発させるものでもあった。