ルークならどうする。だが、ぼくはそんなに強くない。と悩みながら、ピーターは聴聞会の当日を迎えた。
ロスの公聴会会場にはマスメディアが詰めかけていた。要するにこれは、すでに筋立ての決まった政治ショウなのだ。事実や真実なんてどうでもいい。要するに一般大衆への「見え方」が問題となっているにすぎない。委員会が犠牲者を叩きのめす「見せしめの場」でしかないのだ。
だが、委員会のエルヴィン・クライド――この場面では「異端審問官」のような役割を演じている――は、事前に合意していた裏取引の条件をまったく無視して、ピーターの徹底的に糾弾しようとしていた。
カリフォーニア大学の「銃弾よりもパンを」という運動が、コミュニストによって指導・組織されたもので、どれほど反体制的・非アメリカ的運動であったかを公聴会と報道メディアをつうじて、喧伝しようとしていたのだ。
というわけで、エルヴィンのピーターに対する質問・審問はおそろしく攻撃的なものになった。ピーターの回答や反論にはお構いなく、一方的な断定と先入観で執拗に追い詰め、一方的なレッテル貼りに終始した。
エルヴィン:「あなたが脚本を書いた最新の作品は、炭鉱事故を扱ったもので、主人公は炭鉱労働者たちだ。労働者階級の視点を押しだしたコミュニスト的な物語だ。あなたは、確信的なコミュニストですな」
ピーター:「いいえ、その作品は炭鉱事故から生き延びた人びとの感動の物語です。ぼくは、コミュニストではありません」
エルヴィン:「あなたは、大学生時代に『銃弾よりもパンを』という運動に関与しましたね。それは、コミュニストによって組織された運動です」
ピーター:「たしかに、そのサークルにときおり参加しましたが、コミュニストの組織だとは思いませんでした。好きな女の子が入っていたんで、彼女とっしょにいたくて参加したんです。特定の政治的信条とか信念は、持ち合わせていませんでした。ノンポリ学生でした」
エルヴィン:「いや、確信的な信念を持つコミュニストが参加した過激な運動でした…あなたは、いったいどういう理由で、この運動に参加したのですか」
ピーター:「ぼくは、確固とした信念や思想を持ち合わせるほど立派な学生ではなかったんです。運動に参加した理由は、彼女といっしょにいたかったからで、つまり、ぼくは男として「盛り」がついていたんです。性欲的衝動によるものです」
ピーターのきわめて率直な返答は意外なものだったが、会場全体に失笑――しかも大笑い――が広がった。この場を厳粛な「異端審問」の場に仕立て上げようとしていた、エルヴィンら委員会の幹部は、意外な成り行きに顔色を失っていた。
じつは、メディアも聴衆も、委員会の一方的で強引なやり方には食傷し、もはや嫌気がさしていたらしい。テレヴィの視聴者もそうだった。視聴率が急速に下がっていた。営利企業としては、もはや「見せしめショウ」の中継放送を続ける旨みが失われていた。だから、意表を突くピーターの返答に過激に反応して、盛り上がってしまった。
会場の雰囲気(潮目)がすっかり変化していることに気づいた委員長は、エルヴィンに激烈な非難の態度を撤回させ、議事を当初の取引条件どおりに戻そうとした。つまり、学生時代にうかつにコミュニスト組織とかかわってしまった過失を認めて反省し、コミュニストとして告発すべき人物リストに署名するという手続きをピーターに踏ませようとした。
ピーターは、彼自身ではなく、弁護士が委員会の要求どおりに記述した反省(謝罪)文を読み始めようとした。ところが、途中で読み続けられなくなってしまった。 死を前にしたルークの手紙や彼の生き方に深く感動したために、こんなバカげた茶番劇を続けることができなくなってしまったのだ。
弁護士は、「約束を違えて、あまりに厳しい追及をするから、クライアントは平常心を失ってしまった。責任はすべて委員会の側にあります」と抗議した。
やがてピーターの表情が苦悩に満ちたものから決心を固めたものに変わった。意思的な表情になった。そして、内ポケットから(アデルから贈られた)憲法典を取り出し高く掲げ、おもむろに訥々と語り始めた。
「……私は事故で記憶を失い偶然、ローソンの町のルークという青年と間違われました。そこで、ヨーロッパの最前線に赴いて戦死したルークという若者の真摯な生きざまを知りました。その町は、多くの若者を最前線に送り出して67人もの戦死者・行方不明者を出したんです。
彼らは、合衆国憲法の修正第1条に規定されている思想や信条、言論の自由のために、アメリカの理想のために、命をかけて最前線に赴いたはずです。修正第1条は、ただの紙切れに書かれた空虚な契約条項ではないのです。
今、ここで行われていることは、異端審問にほかなりません。
ローソンをはじめ、アメリカ各地からヨーロッパや太平洋の最前線に派遣され、アメリカの自由と理想を守るために命をかけて戦った、そして戦死した多くの若者たちが、このことを知ったら、何と思うでしょうか。
ぼくは、戦争中、戦地に行くのが怖かったので、後方任務に志願しました。臆病者で、確固たる信念や理想を持ち合わせていませんでした。
ですが、戦死したルークやローソンの若者たちを思うとき、ぼくは、こんな茶番劇を続けることはできない…」
ようやくここまで話すと、ピーターは絶句してしまった。そして、席を立って、委員長の静止命令を無視して会場から出ていった。
「議会の委員会を侮辱したのだから、これで、収監は避けられないな。仕方がない、家に帰ってから監獄に持っていく着替えやら荷物をまとめよう」と考えていた。
ヒアリングの会場全体が沸き立った。
誰もが「非アメリカ委員会」の非道・理不尽ぶりには辟易していたが、国家権力の恐ろしさを身に染みていて、このようなごく真っ当な意見を表明することができないでいたのだ。強大な権力による圧迫の前には、政治的委縮と自己規制、諦めが先に立っていた。
だが、たった今、ハリウッドの駆け出しの脚本家が、ノンポリであるがゆえにこそ、ごくごく「当り前」の意見を表明した。それは、率直だが、自分の仕事や地位を失うかもしれないという代償を恐れることなく、正直に心情を表現していた。
テレヴィをはじめとするメディアは、この出来事の一部始終を中継生報道していた。現場の記者やカメラマンたちは、このときジャーナリストとしての使命に目覚めたかのように、ピーター・アップルトンの姿とコメントを何も自己規制することなく伝えた。
そして、メディア・コマーシャリズムの立場から見ても、これほどスペクタキュラーな展開の物語=劇はめったにお目にかかれない場面だ。メディアは視聴率を稼ごうと、ここぞとばかりに、放映した。