レインマン 目次
政治の狂気と庶民の希望
見どころ
あらすじ
ハリウッドの駆け出し脚本家
欺き合いの政治ショウ
泥酔の果てに
さびれた田舎町ローソン
ローソンの悲しみ
ルークの孤独と困惑
アデル・スタントン
「ルーク生還」祝賀会
映画館の再建
忍び寄る「闇」
さらばローソン
委員会との裏取引
アデルからの贈り物
聴聞会での闘い
ローソンの人びと
自由は闘いとったけれど
もう1つの人生の選択
この町の老人たちが渋い!
「マッカーシイズム」について
偏狭化したアメリカ
おススメのサイト
アメリカの歴史
ゴッドファーザー
映画とアメリカの歴史

この町の老人たちが渋い!

  戦争直後の経済発展から取り残された田舎町、ローソン。最前線にたくさんの若者を送り出して、多くの親たちが息子を失った。
  そんな苦難に直面しながらも、それを受け入れて淡々と暮らす人びと。とりわけ老人たちの姿が素晴らしい。
  たとえば時計職人のスタン・ケラー老人。彼の歩みや生活ペイスは、彼が店に置いている時計のように正確で着実である。エメットやアイリーンも渋い。

  この映画は、狂信的な左翼狩りキャンペインに奔走する中央政界と対比させて、老人たちを中心とする地方都市のたたずまいを描き出す。
  ローソンは若者たちを最前線に送り出すという形で国家の戦争政策に貢献し、その結果、町の将来を担うべき若者たちの多くを失った。若者を戦争に駆り立てた連邦政府(国家)の言い分を借りれば、ファシズムと戦いアメリカの自由と民主主義を守るために、町はこれだけの犠牲を払ったのだ。
  本来であれば、この大きな犠牲に対して国家=中央政府は、手厚く報いなければならないはずだ。だが、町と遺族に贈られたのは、勲章と記念銅像だけ。だが、町の人びとは、当然の義務を果たしたまでのことだと多くを要求することはない。
  苦悩を胸の奥にしまい込んで、淡々と日々を送る。静かな毎日が過ぎていく――活力を失いつつある田舎町。
  それでも、町長のコールや町会議員たは、沈滞した町の活気を取り戻そうと、努力している。
  私の心には、そういう町の老人たちの姿が深く刻印された。

「マッカーシイズム」について

  さて、老人たちの穏やかな生活スタイルの対極にあるのが議会が主導する「赤狩り」キャンペインだ。この作品でその一端が描かれた連邦議会の「非アメリカ的活動委員会」による狂信的で乱暴な左翼狩りは、一般にメディア用語としては、「マッカーシイズム」と呼ばれる。
  アメリカ合衆国が明白に世界経済のヘゲモニーを掌握した1940年代末に、このような運動が国家装置やメディアを席巻したのはなぜだろうか。世界で最優位を確保し、そのことを自認した国家としては、じつに偏狭な政治的傾向である。
  月並みな理由説明としては、1940年代に「冷戦時代」が始まったことがあげられるだろう。

  枢軸諸国家の軍事同盟の破壊という点では同盟していた連合諸国家は、「ヨーロッパの解放」とその後の再編の路線をめぐって、すでに1942年頃から対立を見せていた。それが、「第2戦線」の構築の戦略をめぐるブリテンとソ連との対抗という形で展開される。ルーズベルト大統領はソ連を支援する政策を採用し、連合軍は、ヨーロッパ大陸でのナチスの本拠への反攻の上陸地点を北フランスのノルマンディー海岸と決定した。
  合衆国政府内の保守派は、アメリカ政府が同盟国としてソ連を軍事的・財政的に支援する政策を進める過程で、政府内のリベラル派がソ連や社会主義思想の影響を受けることを強く懸念していたといわれる。そして、1940年代のはじめから、政権内あるいは行政機関内部でのリベラル派の影響力を阻止するキャンペインを進めていた。
  この動きは、アメリカの権力中枢としての軍産複合体の形成と関連している。

  しかも1944年からのソ連の東欧での軍事政策は、アメリカやブリテンの保守派、反社会主義派をいたく刺激した。ソ連は、ナチズムに協力した東ヨーロッパの諸国家の政権を軍事的に破壊する過程で、各地のパルティザンやレジスタンスの解放闘争を指導した。というよりも政治的・イデオロギー的に支配し、解放後の政権構想を統制していった。
  いわゆる「人民民主主義革命」路線である。
  こうして、ソ連の軍事的影響力のもとで解放されたヨーロッパの東部は、ソ連レジームに従属する人民民主主義=社会主義圏として組織化・統制されていく。
  これを見たアメリカの保守派は、ますます強硬になっていく。

  しかも、極東では、中国のレジームをめぐって、それまでは合作=同盟していた国民党(蒋介石派)と中国共産党(毛沢東派)とが、激しく覇権闘争を展開していく。結局、1949年に共産党が中国の中央政権を奪取する。
  同じ頃、中国共産党やソ連共産党の影響を受けながら、朝鮮半島の分裂・抗争が始まった。
  これまた、アメリカ政権内の反共産主義イデオロギーと危機感を加速する事態だった。

  さらに、戦争直後、西ヨーロッパ諸国の政権に共産党や社会主義政党が参加したり、あるいは総選挙で共産党を含めた左翼が躍進するという事態が起こった。反ファシズム・反ナチズム運動の最後の局面で左翼が献身的に活躍したことも影響した。あるいは、戦前の保守派政権が、国際的なファシズムの台頭に対して無力だったことへの批判もあった。
  そして、戦争による破壊や荒廃からの復興のためには、主要産業の国有化・国営化と計画経済の部分的採用が不可避になったことから、経済計画の「先進国」ソ連を再評価する動きもあった。
  おりしも、そういう西ヨーロッパにアメリカはマーシャル計画を導入して、財政的・金融的に援助していたから、各国内での左翼の影響を制限ないし封じ込めながら、経済復興を達成するための「政治的テコ入れ」、右翼保守派のコマンドラインの構築に躍起になっていた。そして、合衆国の政府組織や海外援助機関のリベラル派を駆逐し始めた。「占領・援助政策の右翼化」の動きだ。

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