ピーター・アップルトンは「理想に燃える若者」ではなく「とにかく楽をして稼ごう」というプラグマティストで、およそコミュニストの組織や運動とは縁のない人生を送ってきた。ところが、その彼が「ブラックリスト」に名を掲げられることになった。
そして、まもなく召喚状が届くだろうということになった。
ところが、告発と召喚、糾問の手続きは今ではすっかりマニュアル化されていて、まず風評とかFBIによる調査の知らせが届き、実際の召喚日程までに、委員会事務局と弁護士とが交渉(裏取引)して、謝罪文と告発者名簿の原案を作成するという流れになっていた。
ピーターにもこの手続きがおよぶことになった。
とはいっても、知らせは、多くの場合、本人ではなく、雇い主やその弁護士のところに届けられた。まさに芝居がかった政治ショウだった。まさにナチスが好んだ「見かけ倒し」の手法をアメリカ政界と官界は実に巧妙に学び取ったようだ。
しかし、ピーターには少しも思い当たる節がない。
彼は第2次世界戦争中に軍務に就いたが、ロジスティック――後方の兵站補給部門の事務職――だった。戦争が終結すると、若年復員兵に奨学金や推薦状が与えられて大学に優先的に入学できる制度を利用してカリフォーニア大学ロサンジェルス学寮で学んだ。その学生時代に「銃弾よりもパンを」という名前の反戦サークル――きわめて緩やかな組織の運動だった――に加盟したことがある。それが、非アメリカ委員会によれば「コミュニストの巣窟」なのだそうだ。
やがて、委員会への出頭の日程が迫ってきた。謝罪文・誓約書と誰か知人を密告ないし告発する書面に署名すれば、「穏便な処置」で済むはずだった。
だが、ピーターは大学時代の友人や知り合いの名を書き込んだブラックリストに署名するのが、嫌でたまらなかった。今の自分の地位を保つために、誰かを裏切り、犠牲者としなければならないということがおぞましかった。彼は「楽して稼ごう」を思ってはいるが、誠実な若者だった。しかし、この業界で生き延びるためには、これも「通過儀礼だ」と割り切るしかなかった。
そんな自分に嫌気がさしたピーターは、ある夜、海辺のバーでしたたかに酔っぱらってしまった。自室にあったサルのぬいぐるみを話し相手に、酒を飲んで。バーテンダー店長が知り合いで、心を許せる相手だったからか。
夜更けに店を出ようとすると、店長は「車に乗って帰るのはだめだ」と釘を刺した。だが、自己嫌悪に陥っているピーターは、サルの縫いぐるみを助手席に置いて、南に向けて車を走らせた。その夜は、海岸線をどこまでも走り続けるつもりだった。
だが、オーヴァーコートの裾をドアに挟みこんだまま、車を走らせていた。酩酊していて、それに気づかなかったのだ。
やがて、道は古くて狭い木造の橋にさしかかった。危険な橋だったが、構わず走り込んだ。だが、橋の真ん中に走り出た野ネズミを避けようとして、ピーターはハンドルを切り損ねて、橋から脱輪してしまった。そこに驟雨がやってきた。タイヤがスリップして、車は、雨で増水した川に転落してしまった。
水中でどうにかコートを脱ぎ捨てることで、川面に浮き上がることができた。しかし、水晶を増した激流に押し流されて、橋げたに頭を打ち付けて意識を失ってしまった。