その日から、ローソンの人びとが再開されたマジェスティックで上映される映画を心から楽しむ日々が続いた。
だが他方で、その頃、「ルーク」を追い詰める政治の闇が忍び寄ろうとしていた。
ある日、ローソンの隣町の海岸で遊んでいた少年兄弟が、浜辺に流れ着いた猿の縫いぐるみを発見した。その向こうには、ベンツのソフトトップクーペが打ち上げられていた。事故があったらしいということで、警察が呼ばれ、車の登録ナンバーと所有者がピーター・アップルトンであるということが判明すると、FBIが駆けつけた。
スポーツタイプのベンツは、どうやら湾に注ぎ込む川に転落して流されて、この海岸に流れ着き、浜辺に打ち上げられたらしい。FBIは近隣地区を捜索した。そして、ローソンという町に近頃、若者がやって来てルーク・トゥリンブルとして居着いたことが判明した。
だが、その若者はじつはピーター・アップルトンで、議会の「非アメリカ委員会」に共産主義者シンパとして告発され召喚されたが、召喚状の到着直後に失踪したものとされていた。FBIは、最近ローソンに住み着いた若者をピーターであると特定して、捕縛する手続きを準備した。
■回復した記憶、そしてハリーの死■
さて、マジェスティックでの上映は好評で、連日、多くの人びとを呼び寄せていた。そして、次回の上映作品は『サハラの強奪者』という映画で、ハリーが選んだ作品だった。
映画館のロビーでルークは、この映画のポスターにじっと見入った。そこに記されているスクリーンライター(脚本)はピーター・アップルトンだ。そこに「ルーク」は何か惹かれるものを感じた。すると、失われていた記憶がよみがえってきた。
そして、議会の委員会から召喚状を突きつけられて追い詰められていることも想い出した。焦燥と落胆がこみあげてきた。
ちょうどそのとき観客席で騒ぎが起こった。『サハラの強奪者』の画面が突然途切れてしまったのだ。
その直前、映写室では、ハリーがフィルムリールを取り換えようとしていたが、突然胸苦しさに襲われて、倒れてしまった。映写機を操作する者がいなくなり、前のリールのフィルムが終わってしまったために、スクリーンが突然真っ白になってしまった。
ところで、昔の(モノクロ時代の)マニュアルの映写機では、映写フィルムもかなり厚みがあったため、1つのリール(内径30cmくらい)で、長くてもせいぜい1時間から1時間半くらいで、リールを取り換える必要があった。熟練した映写技師は、この取り換えのタイミング=切れ目を感じさせずに、新しいリールへの転換をすることができた。
だが、回転するリールは映写機の熱と回転の摩擦とで高温になって、フィルムが解けたり焼き切れてしまうことがあった。そのため、スクリーンが突然真っ白――ホワイトアウト――になったり、黒くなったりして、映像が途切れてしまうことが、たまにあった。それでも観客たちは、そういうトラブルをしばしば経験しているので、大して動揺することもなく、いらつくこともなく、画面の回復を辛抱強く待っていたものだ。
ホワイトアウトが続くことから異変に気づいたエメットが、映写室で異常があったことを悟った。エメットの叫びで、我に返った「ルーク」=ピーター・アップルトンは、観客席を横切って映写室に飛び込んだ。
すると、ハリーが映写機に寄りかかるように倒れていた。ピーターは、エメットにスタントン医師に連絡を入れさせた。
ハリーはスタントンの診療所にかつぎ込まれて手当てを受けた。だが、ハリーの心臓の機能はすっかり衰弱していて、深刻な肺気腫を発症していた。彼には以前から心臓疾患があったらしい。スタントン医師はハリーの末期が迫っていることを知った。
スタントンは治療室=病室から出て、「ルーク」を呼んだ。臨終が迫っているので、ハリーにあって最後の言葉を交わすようにと告げた。
ピーターはハリーに真実を告げようとしたが、ルークの生還を心から喜び、息子との再会に感謝して息を引き取ろうとする老人に、そんな残酷な事実を伝えることができなかった。本当の父子のように、ピーターはハリーと別れの言葉を交わした。
短期間だが父親として愛を注いでくれたハリーの死は、ピーターにとって実の父親の死のように悲しかった。