第3章 都市と国家のはざまで
――ネーデルラントの都市と国家形成――
第1節 ブルッヘ(ブリュージュ)の勃興と戦乱
この節の節の目次
こうして、織布工や縮絨工、染色工(親方職人階級)たちは、前貸問屋商制――つまり原料前貸しと品質・品目統制をともなう買い取り――をつうじて毛織物商人に支配されていた。そして、職人階級の指揮下にも多数の民衆がいた。自分たちの肉体を使って織布の生産に携わっていたすべての者は、卸売り商人たちの厳しい支配に従属していた。原材料としての羊毛はもちろん、ときには染料さえも織布商人が所有し供給していた。
織物に従事するすべての働き手は、たとえ親方職人として徒弟を抱えているような場合であっても、おしなべて、賃金と引き換えに織布卸売り商人が所有する商品を加工していたのである。このことは、織布工の場合でも、また晒工、染色工、剪毛工など、すべての職種について当てはまる。工程全体の管理と段階ごとの品質と量目も商人が決定していたのだ〔cf. Rörig〕。工程から工程への生産物の移動は織元商人が取り仕切った。それぞれの工程が終わるたびに半製品は織元商人の手に引き渡され、商人が仕事の出来具合を検査した後、次の工程に移すために、商人自身が選んだ次の親方または職人に委ねるという順序で進められた。
本当の生産過程の組織者・指揮者は、毛織物卸売り商人階級なのであった。原料の独占と生産過程の支配によって、フランデルン諸都市の商人階級の権力は絶大なものになった。
加工中の織布は、したがって、繰り返して所有者としての織元の商人の手元に戻ったのであり、最後に完成品として所有者のもとに到着し、ヨーロッパ市場に向けて積み出されたのである。フランデルン商人の商館は、イングランドで購入した原料が市内のさまざまな仕事場で価値の高い市場向け完成品につくり変えられていく過程を管理する拠点でもあった。羊毛も完成品も、国内であれ国外であれ、取引き場所である公共の織物会館に向けて運び出されるまでは、この企業家たちの商館に保管されているのだ。
このような織布商人の利ざやはおそろしく大きかった。羊毛の織物への加工を実際に行った手工業者には、ほんのわずかしか支払われなかった。織布商人自身が、原材料品価格と完成品価格の差額のほとんどを懐に入れてしまったのだ〔cf. Rörig〕。
おまけに、織布商人は、ギルドの成員として、また 参審人として持つ政治的権力を背景に、多数の監視人によって市内の生産活動と治安を管理する公的な規制体系導入のチャンスを得ていた。都市政庁は、所有権の不可侵をうたい、製造工程への商人の監督・統制権を法制化し、これに敵対・侵害する行為を罰令をもって禁圧した。この時代には、織布卸商人が弱小の織布工と交渉をするときに、織布工の保護者として両者の間に立ってくれるツンフトはなかった。生産の機会と原料を与えるかどうかは、商人の意のままであった。彼らは前貸商人として、一方的に織布生産者の経済的活動の生殺与奪権を握っていた。
毛織物商人の圧倒的な権力の前では、生産者として、親方と労働者とは大差なかった。「その日の糧」を心配しながら暮らしていた貧しい人びとと、仮借なき利益追求に生きがいを感ずる企業家=資本家 Kapitalisten との間には、すでに経済的に越えがたい溝が横たわっていた。その企業家はおおむね前貸し卸商人であり、その商業活動に有利なように自ら織布生産を組織・統制したのである。このような支配=従属関係と敵対的な分配形態のなかから、織布生産の組織形態としての工房・家内制手工業が発達したのだ。これが、13~14世紀のフランデルン商工業の実態だった。
このような階級格差と敵対は、都市の成長とともに増幅され、都市内ではときには暴力的な蜂起や紛争という形態で階級闘争が繰り広げられることになった。他方で、力の衝突は都市団体と都市領主としての領邦君侯のあいだでも発生し、さらに有力諸王権による勢力争いとも結びつくことになった。
織物卸で財をなした富裕商人層は、都市の参事会を牛耳り、閉鎖的な都市門閥 Patriziat (商業貴族)を形成した。レーリッヒによれば、そのなかには、もはや商業に従事しないで贅沢な金利生活に引きこもってしまう家系も出現し、そのこれ見よがしの奢侈浪費が階級間の社会的対立をさらに鋭くした。そして、上層市民の奢侈をこととする生活、ますます派手になっていく商業施設の造営は、13世紀の終わり頃に、フランデルン諸都市の財政危機をもたらしたという。取られた対策は租税、とりわけ消費税に訴えることであった。
それは、資産家の上層市民にとってはそれほどの負担ではなかったが、前貸商人による搾取によって経済的に圧迫されていた下層住民にとっては恐ろしく苛酷な重荷となった。しかも富裕な卸売り商人は課税を回避する手管――事業用資産の売買には課税が免除されていた――があるうえに、課税と徴税の実務も、場合によっては有力市民が請け負い、徴税から利益を引き出すために過酷な査定をしたようだ〔cf. Rörig〕。この強引なやり方は階級対立を苛烈化させ、ついに反乱と蜂起、そして外部勢力の介入を引き起こし、すでに衰退の道をたどっていた都市門閥の権力を掘り崩すきっかけになってしまった。
この危機と紛争は、都市外部の権力闘争や政治的紛争などと絡み合って展開した。ブルッヘ、ヘント、イーペル、メクリンなどの諸都市に急速に広がった最初の、1280年の大蜂起は、最初は都市内の紛争であった。
反乱者たちの目標は、今まで抑圧されていた人びと、したがってまず最初に手工業者たちが自らのために、憎むべき都市門閥支配を排除することであった。手工業者たちは業種ごとの自治団体を結成して、都市の統治に参加する権利を求めた。商人たちのなかにも、これら手工業者の仲間に加わる者が多かった。このような商人たちは、できるだけ少人数にとどまろうとする閉鎖的な都市門閥の権力意識のために、これまで政治的・経済的指導層への上昇の道をふさがれていたのだ。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成