第3章 都市と国家のはざまで
――ネーデルラントの都市と国家形成――
第1節 ブルッヘ(ブリュージュ)の勃興と戦乱
この節の節の目次
フランデルン諸都市をめぐる政治的環境は変動し続けた。大雑把にいえば、権力秩序の中核に都市がいすわる状況から、君侯の領域支配秩序のなかに都市が組み込まれていく状況への変動があった。
ホラントやイングランドなど強力な競争相手の成長に気づかずに、フランデルンの諸都市では住民諸身分・諸階級が紛争を続けていた。緊張と闘争は続き、深まっていった。紛争のたびに企図されたフランデルン伯の諸都市への行政的介入は、ときおり成功しそうになるが、制度としては都市の自治権に阻まれていた。
そこで、農村所領を本来の権力基盤とする領邦君侯としての伯は、経済力をもつ都市に対する力の釣り合いを保つために、農村の織物業を助成する政策をとった。それは、都市の織布工たちにとっては不利となった。しかし、織布卸商人である上層商人たちは、農村織物業とうまく折り合うことができた。それによって都市の織布工の競争相手を育て、織布工の要求を抑えることができたのだから、卸売り商人の利得機会はむしろ増大したようだ。
だが、これによって都市の職人階層と富裕商人との敵対はずっと深まった。さらに、農村を支援する伯に対しても都市職人階層の不満がぶつけられていった。1379年の織布工の蜂起はヘント、ブルッヘ、イーペルに広がり、これらの都市は織布工たちの力によって制圧されてしまった〔cf. Rörig〕。だが、下層住民による統治は、前に見たような個別都市の利害対立に拘束されていたので、伯の包囲網のなかで孤立し、衰退していった。
長引いた反乱と騒乱の後、結局、1385年、フランデルンは新しい領邦君主フィリップ・ドゥ・ブルゴーニュの統治に組み込まれた。15世紀前葉には、ブルゴーニュ家はブルゴーニュ、フランシュ=コンテ、ルクセンブルク、リエージュ、フランデルン、ブラバント、ホラントにおよぶ地域を支配することになり、パリの王権をはるかにしのぐ強大な権力を誇るようになっていった。当時、ヨーロッパで最大の王権となった。
それまでネーデルラント北部とブラバントは法観念上、ドイツ王国=神聖ローマ帝国に属していたから、フランデルンを含めた低地地方全域が帝国の版図に組み込まれることになった。それは、ヨーロッパ各地の君侯たちや王たちの意識や観念を大いに刺激したようだ。とはいえ、それは現実の政治システムでは大した意味をもたなかった。
ブルゴーニュ家の支配の開始とともに、都市の独立性はかなり失われ、都市内部の血なまぐさい政治的・社会的闘争の時代が終わった。15世紀には、都市は、周囲の小都市や農村地域に対して行使していた政治的支配権の多くを失うことになった。これは、近隣に強大な君侯権力が出現しなかったザクセン地方や北ドイツの諸都市とは逆方向の変化だった。
まったく新しい強力な軍事力に支えられた君侯権力=領域支配の前では、独立の都市政治というものはもはや存在しなくなってしまった。しかも、ブルッヘ、ヘント、イーペルといった諸都市は、ヨーロッパ貿易戦争を戦い抜くために君侯権力と効果的な結合をはかることに成功しなかった。
そして、15世紀をつうじて、繁栄は続いたもののフランデルン毛織物工業の相対的地位は後退し続けた。この産業の原料であるイングランド産羊毛の購入はしだいに窮屈になっていった。
というのも、国内に羊毛繊維産業を保護育成しようとしていたイングランド側からは、羊毛輸出は意識的に妨害されるようになったからだ。エスパーニャ産の羊毛では足りなかった。こうして、ヨーロッパ市場への毛織物製品――ただし素材・半製品としての羊毛織布――の供給でのイングランドの比率が増大していった。
だが、素材としての織布は、高度な製造ないし管理技術を必要とする染色・仕上げなどに比べて、付加価値がかなり低かった。毛織物産業のなかでは底辺に位置する部門だったのだ。付加価値の生産性では、依然としてフランデルンが優越していた。しかも、イングランドの織布製造業と織布商人は、依然としてイタリアやハンザなど域外の商人に深く従属し続けていた。
イングランドは、羊毛の供給から毛織物の製造へと分業上の地位を高め、さらに付加価値生産性の高い産業部門の育成に挑もうとしていた。というのも、イングランド――ことにロンドン――では域内固有の商業資本家階級が結集し始め、1つの自立化した団体=勢力として王権との緊密な関係を組織しようとしていたからだった。これに対してエスパーニャは、ヨーロッパ分業体系において原料としての羊毛をフランデルンに供給するという従属的役割・地位にさらに深くはまり込んでいった。この具体的な状況は、あとで考察する。
ブルゴーニュ公家のネーデルラント支配とともに、ブラバント公領のブリュッセルがヨーロッパでも最も有力な君侯宮廷が位置する都市になり、宮廷官僚その他の取り巻きたちの奢侈および消費需要によって製造業と商業を引きつけるようになった。そして、ブラバント公としてのブルゴーニュ家は、何よりもアントウェルペンを援護するようになった。ヨーロッパ世界市場という文脈での繁栄の中心は、フランデルンからブラバントのアントウェルペンに移ることになった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成