第3章 都市と国家のはざまで
――ネーデルラントの都市と国家形成――
第1節 ブルッヘ(ブリュージュ)の勃興と戦乱
この節の節の目次
都市内部の政治的闘争は、14世紀初頭には、フランデルン伯の支援を受けた織布工・下層住民からなる武装勢力が、フランデルンの下級領主とフランス王軍騎士との連合軍を破り、一時、ヘント、ブルッヘ、イーペルなどの諸都市を制圧するところまでいった。そのとき伯とその代官が介入の動きを見せた。
ヘントでは、都市の広範な自治権を失う危険を目の前にして、反乱派は分裂した。職人労働者たちは組合結成権の獲得と市政への参加を求めていたから、都市の自治権の制限や喪失を避けようと考えたのだ。しかし未熟練の下層労働者たちは、いわば政治的目標のない憤激に任せた反乱を続けようとして、争乱自体を自己目的化していた。
下層民衆の内部分裂の結果、商人層がすぐに支配権を取り戻し、パリの王権に後ろ盾――援軍の増派――を求めた。この局面でフランデルン伯は、フランス王権の浸透を防ぐために、イングランド王権に援助を求めた。伯と下層民の同盟がまだ支配権を握っていたブルッヘとイーペルもまた、エドワード3世への服属を受け入れた。
ところで、フランデルンの人びとはプランタジネット家を、たんに域外イングランドの王と見ていたわけではない。ノルマンディ公位=アンジュー伯位を受け継ぐフランス西部で最有力の君侯として、いまや名目だけのフランス王にすぎないカペー家に代わって王位を要求する家門と見なして、臣従を誓い支援を要請したのだ。
さてその後、諸都市の諸階級の力関係と立場は変動し、やがてヘント市政庁と商人団体は立場を逆転してフランス王派から離脱し、イングランド王権との公然たる同盟に転じた。織布工と下層商人の同盟によって、ヘントは孤立したまま門閥勢力ともフランデルン伯とも鋭く対立していたが、一時的に同盟を結んだ伯と門閥派によって1349年に反乱は鎮圧された。
この敗北ののち反乱に加わった織布工の多くは、熟練した織物技術を携えてネーデルラント北部――レイデンやアムステルダム――やイングランドに移住する道を選んだ。それは、フランデルンの製造業人口を減らし、技術と人材を流出させ、北部諸都市やイングランドに対して織布産業を保護育成するためにこの上ないチャンスを与えることになった。こうして、やがてフランデルンの産業的優位を脅かすことになるはずの、最も強力な競争相手を成長させてしまう素地をつくったのである。
フランデルンのあれこれの勢力は、時に応じてイングランド王とフランス王に支援を求めたが、両王権の側でも、製造業と交易の中心地を自らの勢力範囲に引き入れようとして介入の機会をうかがっていた。そこには、それぞれの王権に臣従する領主や騎士たちが所領を保有・常駐していて、ときに小競り合い程度に干戈を交えていた。フランデルンをめぐっての角逐、それが大陸の領地をめぐるイングランド王とパリの王権との長期にわたる戦争――百年戦争――の最初の局面だった。
1327年、エドワードはフランデルン――このときカペー家派が優位な形勢だった――に対する羊毛輸出を禁止したが、それは一時的な販売市場の喪失をもたらして、イングランドの牧羊業者(地主領主や借地農)、羊毛商人を経済的危機に直面させてしまった。彼らは、禁輸措置の撤回と引き換えに、王の大陸出兵を支持し、戦役にともなう税の支払いに同意した。1338年、イングランド王軍がノルマンディに上陸した〔cf. Morton〕。
この戦争のなかで、フランデルン諸都市は相争う王権の「チェスの駒」として翻弄されることになった。諸階級・諸身分のあいだの同盟あるいは敵対関係は、都市ごと、状況ごとに目まぐるしく変動した。フランデルン諸都市での階級闘争は、諸王権のあいだの戦争という形における諸国家体系の形成過程の構成部分だった。
フランデルン諸都市の秩序は戦乱の合間にしばしば回復した。だが、都市団体は強硬過激な抵抗派を封じ込めるために、手工業者(熟練職人層)の組合結成を承認し、またその同職組合をつうじて下層商人と手工業者の一部を権力ブロックに引き入れたため、有力商人の排他的な門閥支配は弱まった。だが、それでも織布工たちの商業資本に対する従属は存続した。それは、はるか遠方から高価な原料を大量かつ規則的に購入・分配することができ、また大量の織布を販売する能力をもつ階級に対する構造的な従属である。
工程手順や品質管理の細目にわたる――商業資本の要求に沿った――統制の一定部分は、組合自身が担うことになった。だが依然として、生産過程には幾重にも重層的な商業資本の支配がおよんでいたのだ。
レーリッヒによると、フランデルンの織布取引きでは、その末端にいたるまで、卸売商人があまりにも支配的であったため、手工業者の自律的な生産・販売はまったく不可能になっていたという。フランデルンの織物業は、もはや局地的市場のための織布生産ではなく、ヨーロッパ世界市場のなかに編合されていて、まずフランデルンで生産過程を支配していた織布商人に従属し、さらに世界貿易を組織する域外――ハンザやイタリア――の商業資本に従属していたのだ。
つまり利益はまずもって織布商人=前貸卸商人、域外貿易商人のものとなり、不利益は織布生産に携わっている人びとに帰したのであった。織布工たちにとっては、組合団体組織をようやくつくりあげただけでも、ひとつの収穫であった〔cf. Rörig〕。それにしても、フランデルン織布工たちは都市内の下層民衆やほかの地域の民衆に比べれば、富裕な先進地帯の恵まれた労働者だった。ヨーロッパの中核的な地位によって、域内には富が集積していたのだから。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成