第1節 ブルッヘ(ブリュージュ)の勃興と戦乱

この節の節の目次

1 フランデルン諸都市の形成

ⅰ 都市の地政学的環境

ⅱ 都市領主と上層商人

2 遠距離貿易網と域外商人

ⅰ ヨーロッパ貿易の中心地への成長

ⅱ 域外商人の影響力

ハンザ同盟

大西洋沿岸地帯の貿易網

イタリア商人の権力と金融循環

ⅲ 世界都市の力学

3 商人による生産支配と手工業者

ⅰ 生産過程の構造

ⅱ 商人による生産過程の支配・統制

4 都市の階級闘争と諸国家体系

ⅰ 都市内での階級敵対

ⅱ 都市紛争と領邦君侯

ⅲ フランス王とイングランド王の対抗

5 フランデルン諸都市と領域国家

ⅰ ブルゴーニュ公国への編合

ⅱ ヨーロッパ世界分業

ⅲ ハプスブルク王朝の帝国

ⅲ ハプスブルク王朝の帝国

  ところで、ブルゴーニュ家は1482年に――正統な男子継承者の不在により――断絶して、この豊かな諸領邦の支配権はハプスブルク家のマクシミリアンが相続することになった。ハプスブルク家は、オーストリアを領しさらにボヘミアにも支配をおよぼしていた。マクシミリアンの孫、カールはこれらの諸領邦とブルゴーニュ公位を受け継いだうえに、1516年にはエスパーニャ王位に就き、1519年には神聖ローマ帝国の帝位(カール5世として)をも手にした。それは、ヨーロッパの政治地図・地政学的状況に大きな変動をもたらすことになった。
  ハプスブルク家は、フランデルン伯領のブルッヘやヘントよりもブラバント公領のブリュッセルやアントウェルペンなどの諸都市を保護育成することになった。北西ヨーロッパの繁栄の中心はスヘルデ河以東に移動し、ブルッヘは中核地域の都市としての豊かさを失うことはなかったが、頂点からは滑り落ちることになった。

  ともあれ、ネーデルラントの諸領邦は、14世紀末葉から15世紀中葉にかけてブルゴーニュ家の支配のもとでまとめあげられた。だが、ネーデルラントはひとまとまりの国家に統合されたわけではなかった。個々の伯領や都市は半ば独立の政治体をなしていて、せいぜいあれこれの地方ごとに組織された多数の領邦国家装置の集合でしかなかった。
  というのは、当時、ネーデルラントはフランデルン伯領、ブラバント公領、ホラント伯領、フリースラント領、ユトレヒト領などという、法的に自立的な(主権Hoheitを保有する)いくつかの統治圏域の寄せ集めであって、ブルゴーニュ家はブルッヘやヘント、イーペルにはフランデルン伯として、アントウェルペンやブリュッセルにはブラバント公として、アムステルダムにはホラント伯として――別個の領邦君侯として――君臨していたにすぎないからだ。
  それぞれの地方はモザイク模様の一片をなしていただけで、けっして一続きの領土をなしていたわけではなかった。したがって、これらの諸地方全域に共通な行財政装置・統治機構があったわけではなく、それぞれの領域=〈州 Land 〉内でブルゴーニュ家の貧弱な家政統治装置の監督下で旧来からの地方的な統治諸団体が個別に機能していたのである。
  しかも、その領邦・支配地には、ほかの領主たちの領地・所領が縦横に割り込んでいて、ブルゴーニュ家の権威の伝達や徴税実務の連絡を遮断していた。在地の支配層は名目上の臣従や税の上納と引き換えに、旧来からの法、つまり特権と自立性を維持していた。
  16世紀前半にこの地域はハプスブルク王朝の統治に服することになってからも、事情は同じだった。都市団体(有力商人層)や〈州〉の在地貴族層、聖職貴族たちは、既存の特権、つまりは分権的な統治構造が承認されるかぎりにおいて、上級君主の優越を受け入れたのだ。

  とはいえ、名目上の版図という形ではあれ、単一の君侯権力のもとにまとめあげられたことによって、これらの地方〈州〉が将来、政治的同盟ないし国家を形成するうえでの外的環境が用意されたとはいえる。とくに、ブルゴーニュ家が在地諸身分から課税への了承をとりつけるための身分制集会として、ネーデルラント全域の各州評議会の代表からなる総評議会 Staten-Generaal を召集したことは、やがてハプスブルク王朝への反乱を企図する諸州が結集する枠組み(の萌芽)を、単に外観的・形式的にではあれ、つくりだすことになった。なにしろ、在地の支配的諸階級(諸身分)が集合する場が生まれたのだ。

  ブルゴーニュ公家が断絶するよりも30年ほど以前、15世紀半ばには、フランス王位を継承したヴァロワ家を盟主とする貴族同盟がプランタジネット家の兵力をフランスから駆逐した。イングランド王権はフランデルンを含めた大陸での領地をすべて失った。
  フランデルンでの足場を失ったイングランド王とロンドンの商人団体は、やがて羊毛と毛織物の大陸への輸出の指定市場をスヘルデ河東岸のアントウェルペンに移し、さらに16世紀半ばには北ドイツのハンブルクに移転させることになった。この頃、ハンザ同盟は力を失い、同盟諸都市の結集力も弱まり、利害対立が目立っていた。ロンドンの有力商人たちは、ブレーメンやハンブルクを含む北西ドイツに進出して、貿易経路を組織するようになっていく。イングランドでは、商人の統制のもとで羊毛織布の生産が成長し始めていた。
  とはいえ、16世紀までは、イングランド王権はロンドンの商人団体よりも域外の北イタリアやハンザの商人団体の利害に影響されていた。その方が税・賦課金や融資などによる王室財政収入がより多く見込めたからだ。王権は在地商人の利益よりも、短期的な王室の収入を重視していたのだ。商人が王室に差し出す金の多寡によって王権の政策は左右されていたわけだ。
  そのため、イングランドの羊毛や毛織物素布は、王室によって特権を与えられたイタリア商人やハンザ商人によって、相変わらず安価に買い叩かれながら引き続き低地地方に輸出され続けていた。王権とロンドン商人との政治的・財政的同盟が形成されるまでは、イングランドはヨーロッパ世界分業体系のなかで従属的な地位を受け入れ続けることになった。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

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序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブルッヘ(ブリュージュ)の勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望