補章-4 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

この章の目次

1 国家の属性をめぐって

ⅰ 国家がない時代の政治状態

ⅱ 国家の属性とは何か

ⅲ 国家形成をめぐる競争

ⅳ 世界市場的連関と諸国家体系

2 中世の政治的・軍事的秩序と封建制

ⅰ レーエン制度の実態

ⅱ 王国制度の実態

ⅲ 封建的王国の幻想

例証 ブルゴーニュ公国のレジーム

中世晩期の政治体

イングランド王国の実情

フランス王国の実情

ⅳ 中世の政治的・軍事的秩序

3 世界市場的連関における国家形成の歴史

ⅰ 都市の優越の終焉

ⅱ 多数の諸国家の分立と競争

ⅲ 土地貴族と商業資本との結合

4 考察の時空的範囲

ⅱ 王国制度の実態

  さて、8世紀から9世紀にかけて、フランク部族連合の盟主は遠征・巡行をつうじて「王国」の権威を地理的に広げたが、いましがた述べたように、日常的な統治は各地方の有力者にゆだねざるをえなかった。そこで、部族連合の盟主=フランク王は、授封・臣従関係の形式をつうじて、王の権威を受け入れさせるのと引き換えに、各地の有力者がローカルな規模で統治しているという事実をそのまま承認した。
  地方の有力者たちは、支配地から徴収した貢租や賦課によって、自らの支配地を統治するための巡回裁判をおこない、従者団を維持するための食糧や費用財貨をまかない、また王が要求する軍役奉仕に応じるための軍事装備と補助要員(従者)の確保と訓練などに必要な財貨や物資、食糧などをまかなった。最有力の領主としての王もまた自らの直轄領のなかでは、家臣団を引き連れて巡回して、あるいは直属家臣を派遣巡回させて統治をおこなっていたが、直轄領や王国一般の統治に必要な物資は直轄領からの貢租や賦課をつうじて手に入れた。

  これは封建法の観念としては、王が戦争や遠征などをおこなう場合に、地方有力者が王の指揮命令権に服して軍役を提供することと引き換えに、地方統治と所領支配の特権を認められるという形式になる。実際に領主たちは、地方圏域のなかで平和と秩序を維持する軍事力と統治機構の維持運営をまかなうために、貢租収取権や課税権、賦課徴収権を行使していた。この地方的権力は法観念上、最上級の領主としての王が家臣としての領主に付与する特権とされた。つまり、所領や支配地は臣従誓約と引き換えに王から授封・分配される、という論理に置き換えられた。
  こうして、事実上の権力関係が法観念のなかで転倒されたことになる。だが現実には、すでに実力を備えた有力者=領主が地方的圏域を支配している事実を前提として、王権から形式上、封土(授封地)の守護者として承認されるのであって、王権への臣従を受容したから地方圏域の統治の権限を与えられるわけではない。   しかし、少なくとも臣従関係が取り結ばれた時点では、王たる君侯の地方領主に対する軍事的・政治的な力の優越が明らかであるということが、この関係の基礎となっていた――フランク王族の騎士団の軍事的優越を見よ。これは、互いに不毛な消耗戦を回避するための社会的制度であり、秩序形成のためのすぐれた方法だといえる。
  だが、王となるべき君侯の権力・権威が後退すれば、個々の領主の利害関係が反転すれば、あるいは王と領主の利害が対立すれば、領主の臣従と忠誠の向け先はいとも容易に変わることになった。その結果、生じる軍事的な衝突はフェーデとされた。臣従誓約は簡単に踏み破られ、そして修復されたり、置き換えられたりした。しかも、王や地方領主が代替わりすれば、レーエンは解消されるものとされ、そのつど臣従誓約をし直さなければならなかった。それは、パースナルな誓約関係だから仕方がない。
  これは、地方の有力領主とさらに下位の小さな権力主体との関係、たとえば下級領主や騎士、都市などとの関係にもあてはまった。あれこれの地方権力は、自分たちの地方的特権や利害が有効に保証されるかぎりで君侯・領主に臣従誓約をし、妥協可能な範囲で忠誠を誓い、軍役奉仕や賦課の提供義務に応諾したにすぎない。君侯・領主が下位者の地方的特権を侵害すれば、臣従の条件が失われ、下位者が自らの力をたのんで反乱や寝返りをすることは当然の正当な権利――自力救済権――として認められていた。
  ただし、その結果、下級領主や都市が君侯領主とのあいだでフェーデ状態に置かれることになれば、自らの力だけで戦い抜かなければ、反乱や蜂起の正当性は認められなかった。つまり、軍事的敗北は、相手への軍税(賠償)の支払いと服属=臣従関係への逆戻りを意味した。

ⅲ 封建的王国の幻想

  ところで、中世の政治的・軍事的秩序を「封建的国家 Feudalstaat 」という形容矛盾に満ちた用語で表現する歴史家が多数いる。形容矛盾というのは、封建制とは地方分散的で分立割拠的な領主たちのあいだの相互依存関係を意味するのに対して、国家とは多少とも中央集権的な統治構造を意味するからだ。したがって、封建的であれば国家は成立できないし、国家が存在すれば封建的状態は存在しないということになる。この観念は、近代の学者たちが捏ね上げた幻想でしかない。
  この場合の「封建国家」は、次のような幻想を土台にしている。
  たとえばイングランドとかフランスという一定地域が法観念としては名目上「王国」とされているとしよう。そのとき、王が封臣である有力諸侯と臣従関係を取り結び、これらの諸侯が自らの地方的支配圏域においてさらにより下級の領主または下級騎士たちと臣従関係を取り結ぶことによって、「王国」全域で授封=臣従関係の積み重ねによって階層的ピラミッド型の政治的・軍事的秩序が形成されている、と見る見解だ。
  そこでは、王権を頂点としてそれに次ぐ権力をもつ有力な上級領主たちが王権と第一次的な臣従関係を組織し、これらの有力領主層が地方では、王権との臣従関係を自らの権力の正当化根拠として、支配圏域を統治する家臣団を組織する、というような整然とした秩序が観念されている。
  だが、すでに見たように、中世社会の実際の政治的・軍事的状態はこのようなものではなかった。繰り返すが、封建的な統治秩序を克服した状態が国家なのである。

  たしかに、ローマ教会の神学理論に対応して、このような王または皇帝を頂点とする「普遍的権力思想」はイデオロギーとしては中世社会に存在した。そして、形ばかりの「王国」や「帝国」のなかで優位を主張する君侯とか、統合や集権化を進める王権が、このような観念に仮託してその支配と政策を正当化したことはあった。あるいは、有力諸侯に対する王権の優越性をこのような観念をもって主張したことがあった。
  だが、こうした階層的な秩序は、卓越した中央政府の権力と首都が存在し、この中央政府の行財政組織によって地方を実効的に統制しなければ維持することも、機能することもできない。あれこれの王国には王宮所在都市はいくつかあっても、統治の中心としての首都はなかったのだ。封建的秩序とは、このような統治構造がない状態だった。中世の地方の諸権力の分立並存状態のなかでは、このような階層秩序をつくりだすことはできなかった。

  多くの場合、王権とはかかわりなく、現実の力関係のなかですでに諸侯が有力な地方領主であればこそ、彼らは王権に有力諸侯としての立場を認めさせ、名目上、王権と直接の臣従関係あるいは恩顧関係を取り結ぶことができたのであって、王との直属授封関係と取り結んでいるから諸侯が上級領主たりえたわけではない。これらの有力諸侯は状況さえ許せば、いつでも王権を簒奪し、あるいは自らの支配圏域で王権を標榜し領域国家を形成しようとした。有力領主と彼に臣従する領主たちの関係も同じだった。

⇒◆「国家 État / Staat 」という語が背負っている歴史について◆

 前のペイジに戻る | ペイジトップ | 次のペイジに進む

世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

◆全体詳細目次 サイトマップ◆

⇒章と節の概要説明を見る

序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブリュージュの勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望