補章-4 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座
この章の目次
さて、君侯や王の国家装置はそれ自体で1個の特殊な財政装置をなすが、それは当時、商業利潤の大規模な再分配機構でもあった。そこで、誰に対して財政的負担を強いるか、誰に有利に財政支出をおこなうかという政治的判断は、どのような意思形成過程や力関係をつうじておこなわれるかということが問題になる。
それは、商業資本の蓄積や権力増殖の具体的な方向を左右したはずだ。財政収入の調達と分配をめぐる諸階級の力関係、国家装置の内部と周囲に組織された諸集団の行動スタイルが、財政と軍事の特殊なバランスを決めたであろう。そうなると、商人階級の権力がどのように組織され、君侯権力にどのような影響力を与えたか、そして、君侯はどのように有力商人層にアプローチしたかを考察しなければなるまい。
すでに見たように、国家形成が進展していく時期のヨーロッパは、端的に言えば、土地貴族の権力と並んで、遠距離商業ないし世界貿易を支配する商業資本の力が優位を獲得していく趨勢にあった。そこで、君侯権力、商業資本、土地貴族のあいだの関係を分析しなければならない。
土地貴族は農業資本家であるだけでなく、資産を貿易事業や金融事業――それは多くの場合王室の事業でもあった――に投資する有閑階級でもあった。つまり、利子所得として商業利潤の分配にあずかっていたのだ。そして、王権の顧問会議などの宮廷装置での活動や通婚などによって人脈的・家系的に結びついてもいた。土地貴族と商業資本は密接に同盟し融合していたのだ。したがって、たとえば16~17世紀のフランス王国では有力貴族層について「帯剣貴族」か「法服貴族」かという区別はほとんど無意味になっていた。
こうしてみると、実際の歴史的存在としてのヨーロッパ国民国家は、近代的生産関係としての《資本=賃労働関係》を基盤として国家を説明する理論の想定とは、かなり異なり、商業資本と領主貴族の権力との強い結びつきのなかで形成され、非常に複合的な構造として説明されることになる。そこでは、《資本=賃労働関係》に照応する位相は、国民国家という現象のごく一部分を構成するにすぎない。
《資本=賃労働関係》または産業資本をめぐる位相は、総体的観点から見ると、むしろ、このあと私たちが考察する一連の歴史的過程の結果として、国家という枠組みがひととおり成立したのちに付加される要因なのである。したがって、《資本=賃労働関係》によって説明できるのは、近代ブルジョワ国民国家の存在のごく一部だけでしかない。
とはいえ、もとより私たちは、認識を構成するあれこれのカテゴリーのあいだの論理的連関は、規定=被規定の一方的な関係によって説明されるとは考えていない。
さて、私たちの考察の主要な時系的な射程範囲は、ほぼ13世紀から17世紀におよぶ期間――中世晩期から近代初頭――である。
13世紀というのは、ヨーロッパ中世の社会秩序がいく度もの変容を経てひととおりできあがり、人類の経済活動が拡張したため、経済活動と生態系との均衡、食糧の供給と人口との均衡、生産と消費の均衡などが決定的に破れようとした局面であって、その結果、総体的な危機への入り口にさしかかる時期だった。
やがて18世紀まで続く気候の寒冷化が始まろうとしていた。気候変動は農業に大きな影響を与え、ことに冬季が長引き高緯度地域の海洋や河川のより長い期間の凍結をもたらすと同時に、海退すなわち海岸線の後退を引き起こして多くの港湾を失わせ、船舶輸送や陸上輸送にこれまた大きな影響を与えるはずだった。しかも、人類自身による森林伐採・開拓は、植生・生態系や土壌の状態に深刻な影響をおよぼす――農業(食糧)生産の危機を呼び起こす――ようになっていった。気候変動と生態系の組み換え、そして土壌状態の変化は複合的に絡み合って、ヨーロッパにおける人口の再生産や社会経済生活の仕組みに脅威をもたらすことになった。
農業の行き詰まり、疫病の蔓延と人口の激減などの危機は次の世紀、14世紀にやって来た。すでに見たように、世界貿易の形成やヨーロッパ分業体系の変動、そして領主制統治の組み換えと領域国家形成への動きは、その危機の結果、あるいは危機への対応ともいうべきものだった。他方、17世紀というのは、多くの世界システム理論が、危機への対応として14世紀から始まったヨーロッパの総体的秩序の組み換えが(大きな枠組みとしては)一段落し、ヨーロッパ世界経済が1つの全体構造として出現したと見られる時期だ。
私たちはひとまず、17世紀までにヨーロッパの有力な政治体として振舞えるような統治体制が形成された諸地域について、世界市場的文脈を背景に置きながら、軍事的・政治的秩序の変動の歴史を追いかける。考察対象となるのは、ネーデルラント、イベリア半島、イングランド、フランス、スウェーデン(スカンディナヴィア半島とバルト海)という地理的範囲だ。
そのさい、世界貿易とヨーロッパ分業のなかに位置づけながら、それぞれの地域での統治秩序の変動と国家の形成を、それ自体の文脈に重点を置きながら考察する。この研究戦略上の選択が正しいかどうかは、ヨーロッパの主な諸国民国家の形成史を見たあとでないと判断できないだろう。今は、このような研究戦略上の仮説を表明するだけで、その正しさを論証するつもりはない。
この一連の考察によって、第1章で提起したいくつかの諸問題への回答は用意できるだろう。そこで、一連の考察ののち、それらからなるこのブロック(第1篇)を総括して、その回答を示すことにしよう。その総括は、第2章以降のすべての考察を土台とすることになる。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成