もちろん、この映画には当時のソ連の国家イデオロギーがきっちりと盛り込まれています。ナチスに対して「生命を賭して祖国を防衛した」前線の兵士たちの英雄的な姿が、ところどころに表現されています。
とはいえ、映像制作の手法は硬質な「リアリズム」に徹しています。それゆえに物語性はないともいえます。
場面の多くは最前線であって、戦場です。破壊と殺戮=死が繰り広げられる舞台は、過酷で殺伐とした広漠としたロシアやウクライナ、東欧の平原です。描き出されるのは、戦争・戦闘の暴力性、破壊性。無残な死に直面して、前線の兵士たちは、破壊と殺戮の脅威に怯えています。けれども、彼らを国家と軍という権力組織の規律や命令が拘束し、戦闘に赴かせます。
戦争という巨大な破壊と殺戮のメカニズムのなかでは、兵士たちは、この全体に翻弄され、隷属する小さな歯車か部品ののひとつでしかなく、使い捨てられる消耗品の一形態でしかないのです。その意味では、ヒーローはいません。
そして、物語としての起承転結あるいは展開はないのです。ドキュメンタリー・タッチで描かれています。
その意味では、映画作品としての統合性=全体性・構築性はないかに思えます。
そういう映像で描かれるのは、ソ連側の資料に記録された東部戦線の推移(を独特の手法で脚色した戦況)です。
そこで、ソ連の映画制作陣が伝えているのは、「実際の戦争とはこういうものだ」というメッセイジであって、その悲惨さや破壊性、即物性を表現するために、戦場の光景、登場する戦車や兵器のリアリティをことさら追求しているかにも見えるのです。
このシリーズの最初の作品「クルスク大戦車戦」を見たのは、私が中学生のときでした。戦車プラモデルのマニアだったので、友だちに誘われて観にいったのです。そして、そのスケイルに圧倒されました。「ソ連の戦争映画はすごい!」という印象に圧倒されました。