ヨーロッパの解放 目次
リアリズムとプロパガンダ
映画の見どころと分析視角
ソ連型リアリズム
リアリズムとは何か
東部戦線の特異性について
西部戦線から東部戦線へ
ナチズムを甘く見たソ連
ドイツ軍の破竹の侵攻
スターリングラードの死闘
クルスクの戦闘
クルスク戦の実相 @
クルスク戦の実相 A
ドゥニエプル渡河作戦
驚くべき奇策
河畔の激戦
ドゥニエプル渡河の戦略的な意味
パグラチオン作戦
罠にはまったヒトラー
戦車の歴史の1断面
T-34の優秀性
過剰適応の失敗 T-54/55、T-62
乗員の生存率を最優先とする設計思想
T-34のデビュー
T-10/JS型戦車について
「ヨーロッパの解放」以後の戦争映画
おススメのサイト
異端の挑戦
炎のランナー
戦史・軍事史
史上最大の作戦
パリは燃えているか

西部戦線から東部戦線へ

  *対ソ連戦線の経緯と位置づけについては、このサイトの記事「史上最大の作戦」を参照のこと。

  さて、1939年8月に、ドイツはソ連と不可侵条約を結ぶと、ポーランドの侵略を開始しました。これに対して、ブリテンとフランスはポーランドとの同盟条約にもとづいて、ドイツに宣戦布告。
  一方、ソ連は、ドイツのポーランド侵攻に対応して、これまたポーランドに侵攻し、東部地方を占領しました。こうして、ナチスドイツとスターリン・レジームのソ連は、ポーランドを分割占領・征服してしまいました。その含みは、両国がいずれ正面から敵対するまでの前線と緩衝地帯とを一時的に確保しておくということでした。
  とりあえず、東部戦線を暫定的な不可侵条約で凍結しておいて、ヒトラーは、いち早くベネルクス諸国家を占領したうえで、ドイツに宣戦布告したフランスを電撃的に攻略して大陸側を占領し、ブリテンに圧力をおよぼし、すみやかに講和を結ぶ腹積もりでした。短期決戦だけを視野に入れていたのです。


  はじめは、ソ連の社会主義に外交的に包囲し圧迫を強めていた西ヨーロッパにまず攻め込んで、スターリンの歓心を買い、油断をさせておいて、西部戦線での優越を確定したのちには、今度は本格的にソ連を徹底的に叩くという見通しで、ソ連嫌いのチャーチルもそれなら講和に乗るだろうという、希望的観測も持っていたかもしれません。
  ボルィシェヴィキ嫌いでは、ヒトラーはチャーチルに負けるつもりはありませんでした。
  1940年春、ドイツ軍はマジノ防衛線を突破して、短期間にベルギー、ネーデルラントを占領・征服し、その勢いを駆ってフランス北東部に侵攻しました。6月14日にはパリ陥落、25日には、フランスは降伏。ドイツ軍はダンケルクに駐留していたブリテン軍を英仏海峡に追い落としました。

  こうして、ドイツ軍はフランス、ベルギー、ネーデルラントの統治権力を掌握しました。電撃作戦 Blitzkrieg の成功によって、これらの国の資源や文化を比較的に損傷少なく確保・統制・収奪して、自らの軍事政策に動員・投入することができのです。
  ところが、東部戦線では事情が違っていました。人口や資源が集積した都市が多く接近している西ヨーロッパに比べると、ウクライナ・ロシアの平原は人口希薄で気候も厳しく、戦線を拡大すると兵站補給線が確保できなくなるのです。
  こうしてドイツ軍にも大きな誤算があったのですが、状況の読み間違いは、当初はむしろ、スターリンの側の方がひどかったようです。

前のページへ | 次のページへ |

総合サイトマップ

ジャンル
映像表現の方法
異端の挑戦
現代アメリカ社会
現代ヨーロッパ社会
ヨーロッパの歴史
アメリカの歴史
戦争史・軍事史
アジア/アフリカ
現代日本社会
日本の歴史と社会
ラテンアメリカ
地球環境と人類文明
芸術と社会
生物史・生命
人生についての省察
世界経済
SF・近未来世界