以上のようなソ連の戦車設計思想の対極に立つのが、イスラエル陸軍主力戦車メルカヴァの設計思想です。
イスラエル政府は、ブリテン戦車センチュリオンの戦果をきわめて高く評価し、そのあとのブリテン政府に対して主力戦車チーフテンの製造ライセンス取得や後継戦車の共同開発を提案しましたが、ブリテン政府に拒否されてしまいました。
センチュリオン以来チャレンジャーUまで、ブリテンの戦車設計思想では、きわめて高い攻撃性能と防御性能の両立が追求されてきました。とりわけ乗員の生存率 survivability を優先しています。民主主義と市民権を土台とする限り、そうなるでしょう。
さてイスラエル政府としては、ブリテンの戦車の攻撃性能と防御性能の高さを知ってしまった以上、同等以上の主力戦車の開発は喫緊の課題となりました。それで、1960年代後半から70年代にかけて開発生産したのがメルカヴァでした。
メルカヴァは、乗員の生存率を最大限に高めることを、設計開発の最優先の課題としました。生存率を極大化するためには、単に防御性能を高めるだけでなく、攻撃を仕かけてくる敵軍戦車の戦力を撃破する破壊力(主砲の精度、つまり照準や装填の速さ、確実さなど)を極大化して、敵の攻撃力を奪って被弾の可能性を極小化すること、同じく迅速に攻撃運動と回避防衛運動をおこなうために、機動性、運動性能を高めることも、同時に追求しなければならないのです。
そのために、開発過程では、基本設計プランができたのちに、現役・退役の戦車兵や部門の将官たちの意見や要望、体験談を系統的に収集して、何度も試作品をつくりました。ことに現役戦車兵から、主砲性能や運動性能、車内からの退避装置、被弾性能の向上についてのアイディアを綿密に収集分析しました。
その結果、メルカヴァ(Mk-T)が登場したのです。
新型、最新型のメルカヴァ(Mk-V以降の型)については知らないので、いささか情報は古いのですがT型、U型についての情報に依拠しています。そして、ここではもっぱら防御性能・被弾性能について述べることにします。
メルカヴァを見るとき強い印象を与えるのは、その形状です。砲塔の形状が、左右対称ではありません(最新型は左右対称)。だが、そこには、当時のブリテン主力戦車チーフテンの長所があちらこちらに採用され、極限にまで改良されているのがわかります。ことに正面の傾斜面装甲の形状。しかも、キャタピラカヴァーも本体と一体化して、「装甲の穴」となる先頭部(タンクトップ)形状の不連続性をほぼ完全に排除しているのです。
そして、車体内部の構造がまたユニークです。
エンジン、トランスミッション、制御装置・コンピュータなどの機械部をすべて戦車の前方に集めて配置しています。これらを含めれば、すべてが鋼鉄ではないけれども、前面装甲に加えて前方に約2m近い機械類と筐体遮蔽物の連続構造が置かれて、防御策となります。仮に分厚い正面装甲が破られても、これが被弾の破壊力を極力吸収して車内の乗員を防護するように設計されています。
前面ほどではないけれども、戦車の側面にも備品や各種の装置を格納配置して、側面からの衝撃にも対処するようになっているといいます。
そして、本体最後尾には、脱出用ハッチが設定されています。
戦車の前部や側面、砲塔が撃破損傷した場合、乗員は退避を最優先して車内の後部に集まり、ハッチ(厚み30cmくらいで左右開閉)から1人ずつ脱出するようになっているのです。もちろん、秘密の方法で救援が外部からこのハッチを開いて内部の乗員を救出する装置もあるそうです。最高軍事機密なので公開されていません。
これほど乗員の安全を最優先する思想は、どこから来るのでしょうか。
大きい人口と高い人口増加率を誇るアラブ諸国に取り囲まれているイスラエルにとっては、比較的に低い出生率と少ない人口のなかから必死に徴募してようやく育成し確保した兵員の損傷を極力抑制することが、すなわち国家の防衛力を維持向上させる道なのです。自国市民の戦車兵の生命を最大限尊重する、彼らの生き残り、生存率、救出率を極大化することがです。
とはいえ、この兵士の生命の尊厳・安全を極力保障するという思想は、普遍的なものではありません。イスラエル市民だけに向けられた保護でしかありません。ユダヤの安全を脅かす敵に対しては、徹底的に無慈悲な封じ込め(そこには露骨に、敵側の民衆の人権の無視や生活の切り崩しがともなっている)と破壊をおこなうのです。
ところが、イスラエル市民社会の延長部分、特殊部分としての軍隊には、独特の自由と規律が共存します。軍規を守る限り、前線の兵士が、それぞれの政治的立場にしたがって議論する自由を保障しているのです。もちろん、議論は自由だが、軍規と命令には全面的に服従を要求します。
だから、少なくとも20世紀末までは、前線の兵士たちが小隊のなかで「この戦争・戦闘には私は反対する」と言って、喧々諤々の論争が展開していたようです。もちろん、実際の戦闘になれば、そういう立場の兵士も、自分たちを守るために攻撃命令に従うことになります。
だから、戦役から帰還した若者たちが、軍役を離れた途端に反戦運動やアラブ人の権利擁護の運動を活発に展開することも、ごく当たり前なのです。むしろ、戦場の悲惨さ、戦場となったパレスティナ・アラブ人居住地などの悲惨な現状を体験しているだけに、説得力を持った理論武装をすることも多いというのです。
ところが近年、旧ソ連東欧圏からイスラエルにやって来た人びとは、相当に極端に保守的右翼的で、社会や政治、軍などでの自由・自立の雰囲気がむしばまれているとも言われています。