クルスク戦の直前に(43年2月〜3月)、その南方のハルィコフ、ベルゴロドの戦闘がありました。この戦闘ではソ連は勝利を得たわけではありません。とはいえ、ドイツのさらなる侵攻を食い止め、膠着状態をつくり出し、持ちこたえて時間稼ぎをしながら、しだいに分厚さを増しつつある広い防御の網の目のなかにドイツの最戦線を絡め取っていく過程が着実に進んだのです。
ソ連軍はとにかく崩壊寸前の防衛線を建て直して、ハルィコフとベルゴロドを一時的に奪還することができました。偶然生まれたドイツ軍の力の間隙をついての反撃でした。しかし、ソ連軍が奪還した2都市を防衛の網の目のなかに取り入れる暇も与えず、ドイツ軍のマンシュタイン元帥の果敢で巧みな作戦によって、これら都市はふたたび奪われてしまいました。
それでも、戦線の後退、退却と防御一方だった前線で一時的とはいえ反転攻勢に踏み出ることができるほどに、ソ連側の補給体系と兵力は力を蓄えてきていた証左でもありました。
2つの都市を再占領したドイツ軍――マンシュタイン元帥と武装SSを中心とする軍団――は、南方からクルスクを攻略する計画を立てました。南からの攻撃の直後、北側の戦線からクルスクを攻める作戦も用意しました。
しかしながら、ドイツ軍の消耗損失があまりに甚大で、戦力の再編成(兵力・兵器の再配備)に少なくとも1か月以上を要するはずでした。しかも、再編の過程で兵員と軍備の消耗はさらにひどいことが判明。そして、兵員の補充と、ドイツ本土から新型のパンター戦車およびエレファント(200o対戦車砲をもつ駆逐戦車)の配備を待つことになりました。
そのため、クルスクへの攻撃は、当初の4月から6月に延期され、さらにそれが7月にまで延びることになったのです。この延期のあいだに生じたほかの全戦線での連合軍の反撃・攻勢が、ヒトラーを極端に怯ませ、彼の精神に打撃と障害を与え――鬱病と痙攣発作――、東部戦線でへの指揮命令の一貫性を失わせました。1943年の6月には、ヒトラーは精神の均衡を失っていたようです。
この時点では、たしかにソ連軍の防御網は、もはやドイツ軍の侵攻を許さない――膠着を持続させ、消耗を蓄積させる――ほどには強化されていたものの、クルスクの戦闘でドイツ軍を圧倒するほどの戦力にはまだ達していなかったようです。
そして、独裁者スターリンは自ら構築した軍情報組織に完全な信頼を置くことができなかったために、ソ連軍の作戦にも混乱が見られました。
それでも、ソ連軍はバルト海から黒海までの長大な戦線に投入するために、兵員130万人、戦車3600台、砲2000門、航空機2800機を配備しました。
対するドイツ軍は、兵員90万、戦車3000(なかにはティーガーが270、エレファント90、新型パンター200を含む)、航空機2100をかき集めていました。
しかし、ものすごく長大な戦線だから、さほどの密度になるわけではありません。
ところが、ドイツ軍側ではクルスクで戦端を開いてからまもなく、ヒトラーが地中海・イタリア戦線での連合軍の大規模な攻勢にたじろぎ、イタリア戦線を補強再構築するため、SS戦車隊を中心とする本軍を東部戦線から引き上げてしまいました。そのために、ドイツの戦線はなし崩し的に縮小・希薄化し後退、崩壊していきました。対ロシア戦線でマンシュタインは巧妙で緻密な作戦を立案したが、実行前に、すっかり怖気づいて錯乱したヒトラーによって差し止められてしまいました。
そこには、たしかに分厚さを増したソ連軍の圧力を前にして、ドイツ軍の精鋭も手ひどい打撃を受けるであろうという状況判断を余儀なくするような、ソ連軍の戦力の威力が事前に働いていたとはいえるかもしれません。
この戦線の戦いについて、映画は広大な荒野の航空戦、戦車戦、砲撃戦、塹壕戦などを切り取って描いています。けれども、断片的な映像の壮大な寄せ集めのように見えます。戦場に物語はなく、殺伐とした光景が続くだけなのです。ソ連の映画なのですが、クルスク戦闘でソ連軍が明白な勝利を確保したというようには描いていません。
とはいえ、ヒトラーの主力軍撤退命令によって、しだいに弛緩・崩壊していくドイツ軍の東部戦線をあちこちで切り破ったソ連軍が西に向かって漸進していくという傾向が、象徴的に描かれています。
T-34が次々に戦場に出現し、西に向かって突進していく、その様子が描かれています。このあと、ベルリン占領の時期まで、ソ連はおよそ3万8000台のT-34(いろいろな型を取り混ぜて)を製造し、前線に送り出しました。おそるべき数です。質的な劣位を数量で圧倒する、これが連合軍勝利の鍵でした。
これと関連して、アメリカ軍はM-4シャーマン戦車を約5万5000台製造して前線に送り出したということです。そのうち3万台以上はヨーロッパ戦線に投入されました。これも、まさに投入する兵器=資源の総量が戦況を決定するという戦略思想の表現にほかならなりません。
ティーガー戦車を典型とする「とことん質を重視しまくる」というドイツの発想に対して、ソ連とアメリカは、質はそこそこでいいから圧倒的な物量を投入すれば、戦局全体の質的な転換を実現できる――そう考えるしかない――という思考スタイルだといえます。兵器体系は個々に高度な質を備えていても、全体として量で上回らなければ優位を確保できないというわけです。