1972年9月5日、西ドイツのミュンヘン。
パレスティナ・ゲリラが選手村のイスラエル選手団居住区を襲撃するテロ事件が発生した。事件後も、パレスティナ過激派とアラブ人によるイスラエルへの攻撃が続発。イスラエル政府は、報復のために暗殺ティームを組織して、このテロ事件の首謀者や関係者への殺戮作戦を展開した。作戦名は「神の懲罰」。
国家の意思を、〈カウンターテロリズム〉という名の暴力で表明するためだった。パレスティナ=アラブ・ゲリラとイスラエルとは、暴力の応酬の泥沼にいっそう深くはまり込んでいった。2005年作品。
原題は Munich (ドイツの都市ミュンヒェン München :ミューニックはその英語表記)。ここではこの都市名を「ミュンヘン」と表記する。
原作は George Jonas, Vengeance, The True Story of an Israeli Counter-Terrorist
Team, 1984 ――ジョージ・ジョウナス(ギヨルク・ヨーナス)、『報復――イスラエルのカウンターテロリズム・ティームの実話』1984年。イスラエルの諜報機関モサドが「神の懲罰作戦」のために組織し、テロリストたちに仕かけた凄惨な報復戦の様相を描き出している。
見どころ:
すぐれた映像は、時代状況を鋭く切り取る。状況に絡み合った問題群とともに。この映画は、パレスティナ=イスラエル問題の根幹にあるいくつかの要因を的確に剔抉している。
アメリカ市民であるユダヤ人、スティーヴン・スピールバーグはこの作品で、ユダヤ人国家=イスラエルによる「カウンターテロリズム」という名の暴力――国家権力の運動――の実像をドキュメントフィクションの手法で描き出して、鋭く問題を提起した。この問題をイスラエルの側から見つめている。
単なる批判ではない。テロリズムとそれへの対抗暴力を生み出さざるをえない状況、国家=中央政府の責任、作戦の担い手となった諸個人の苦悩、国家と市民個人との関係など、問いかけた問題領域は広く、複雑である。答えは、おそらくない。
映画人と観客は、ともに描かれた現実を素直に見つめ、戦慄し、自問・苦悩するしかないかもしれない。正邪の判断はつかないからだ。
しかし、カウンターテロリズムという、国家によって系統的に組織された暴力によっては、テロリズムの発生の根は絶つことができないという経験則だけは確認できる。抑制された暴力であっても、ひとたび生み出されれば、自己目的化するのだ。
こうした現実への深い懐疑と懸念が、モサドのエイジェントとして、このカウンターテロリズムという暴力の担い手になることを国家によって強制された個人の視点から、描き出されている。
| 次のページへ |