アヴナーはルイにコンタクトを取った。
夕闇のなかでアヴナーは、パリの――待ち合わせの場所として指定された――街角にあるダイニングキッチンのショウルームを覘いていた。するとルイが現れて、アヴナーの後ろから声をかけた。
「アリ・ハサン・サラーメは、エスパーニャの海岸(ジブラルタルの近隣の)タリファの別荘に匿われ厳重な警備下に置かれている」と。
アヴナーはスティーヴとたった2人でその別荘に奇襲攻撃をかけた。だが、2人はサラーメの顔写真すら手に入れていなかった。明らかに準備不足だった。しかも、ティームのメンバーもわずか2人だった。そのため、別荘の庭に巧みに忍び込んだにもかかわらず、標的を絞りきれないでいるところを敵側の警護要員に発見され、銃撃戦になってしまった。2人は、必死に逃げて、何とか脱出した。
結局のところ、暗殺ティームは解体してしまい、もはや任務の継続は不可能になっていたということだ。
ハンスが殺された夜以来、アヴナーは暗殺の恐怖に取りつかれていた。たしかに敵対勢力の殺し屋の手は、カールやハンス(そしておそらくはロバート)にまでおよんでいた。暗殺者の執拗さは、自らの暗殺者としての経験で身をもって知っている。恐怖は、自分だけでなく、妻や娘にまで広がった。
それは、イスラエル国家の暗殺ティームとして殺戮を繰り返したために、憎悪と暴力の連鎖と増殖を呼び起こしてしまったことの結果でもあった。
イスラエル政府の秘密命令で報復=暗殺を繰り返したことの「報酬」は、イスラエル国家=国民の安全を増大させもしなければ、自らの達成感をもたらしもしなかった。仲間の無残な死をもたらし、自己の命の危険を増幅させ、心の平穏を打ち砕いてしまった。
カウンターテロリズムは、国家によってその担い手としての任務を強制された諸個人(アヴナーたち)を、むしろ疲弊させて追い詰め、残酷な死をもたらし、生き残った者にはトラウマ(恐怖のパラノイア)を刻みつけた。
「国家の安全」「国民の安全」とはそういうものなのだ。愛国心という空虚なスローガンのもとに市民に服従を要求・強制し、戦争や戦闘に駆り立て、犠牲を強いる・・・けれども敵側の憎悪と復讐心をも煽り立て、結局、殺戮合戦の泥沼に陥り、政策の袋小路に追い込まれていく。
おりしも、アヴナーにイスラエルへの帰還命令、休養の指示が出された。アヴナーはイスラエルに帰国した。空港に迎えに来た同僚は、アヴナーを「国家英雄」として扱ったが、アヴナーは少しも誇りを感じなかった。むしろ、この任務を始める前に抱いていたイスラエル国家への信頼とか誇り、忠誠心は、粉微塵に打ち砕かれていた。そして自分自身については、かくも残酷な殺戮を繰り返したことに深い罪悪感と後悔を抱いていた。
この残酷な作戦を命令=強制したイスラエル国家は、アヴナーにとって忠誠を誓い、誇るに足りる存在なのか。政治的メッセイジを敵対者と世界に発信するためにテロルをおこない、殺戮と破壊を遂行するという点においては、イスラエルはパレスティナ過激派・「黒い九月」と同じではないか。
ナチスの残酷なホロコースト(ジェノサイド)を潜り抜けたユダヤ民族は、今、その悲惨な経験を他者に押し付けている。パレスティナ住民から土地や財産、居住空間を奪い、防衛とか報復と称して戦争に駆り立てている。
テロルへの報復、そしてカウンターテロルへのさらなる報復。かくして暴力はエスカレイトし、憎悪は増幅する。
結局、アヴナーにとってはイスラエルは安住の地ではなかった。その国民としてのアイデンティティも失ってしまった。