声明文に示されたテロリスト集団の要求は、イスラエル政府によって拘束されている200人のアラブ系テロリストを解放しろというものだった。
この要求は、事件の様相とともに、ドイツ政府をつうじてただちにイスラエル政府に伝えられた。イスラエル首相、ゴルダ・メイア女史は言下に「テロリストとの取引きには一切応じない」と突っぱねた。そして、ドイツとの外交関係上、事件解決のためには、ドイツ政府による交渉・救出作戦に完全に委ね、イスラエル政府はドイツ政府の活動を全面的に支援するという方針を決定した。
イスラエル政府の内閣内部には、イスラエル政府自身が対テロリスト・ティームを直接派遣して、人質救出作戦にあたらせるべきだという強硬意見(国防相モシェ・ダヤン)もあった。だが、ゴルダ・メイア首相は、ヨーロッパでの事件で、しかもオリンピック大会開催期間の事件で世界的に注目を浴びていることから、ドイツの主権と外交関係、国際法規範を遵守しなければ、イスラエルの国際的地位や外交関係を著しく損なうという理由で、強硬意見を退けた。
そして、国家情報局モサドの長官にしてテロ対策の専門家、ツヴィ・ザミールをオブザーヴァーとして派遣した。
一方ドイツ政府は、時間をかけて交渉に臨み、極力平和的に解決するという立場だった。穏やかな、というか優柔不断なドイツ政府側の交渉に苛立ちながらも、テロリストたちは何度も交渉の「タイムリミット」を延ばした。けれども、籠城から一睡もしていないパレスティナ過激派たちは焦燥に駆られ、またドイツ政府による時間稼ぎの裏で「罠とだまし討ち」作戦を仕かけられることを恐れていた。
彼らは、タイムリミットを提示して、それ以降、一定時間ごとに人質を1人ずつ(各国の報道陣の眼前で)殺害するという脅しに出た。
とはいえ、イスラエル選手団以外には、テロリストたちは概して「紳士的」だったという。ほかの国の選手団の外出を許可したりしていた。
まもなく、テログループの首魁、ムハンマド・マサルハはドイツ側に最後通牒を突きつけた。逃亡用の航空機を用意して、テロリストと人質もろともカイロまで飛ばせるように要求したのだ。
ドイツ政府は、フュルステンフェルトブルック空軍基地にルフトハンザ航空機を用意して、表向きテロリストの要求に応える形をとった。選手団宿舎からヘリコプターが待機する広場までバスで送り、そこからヘリで空軍基地まで空輸するkとにした。輸送過程で人質奪還=救出作戦の好機を見出すという作戦だった。
その間の要衝に狙撃手を配置したが、バスまでの距離は遠いうえに、バスの内部に20人近くも乗っていれば、狙撃はリスクが高すぎて、実行不能だった。
結局、空軍基地でテロリストへの攻撃を仕かけるしかなくなってしまった。