さて、ベイルートで襲うことになったその標的の3人とは、
1人目は、ムハンマド・(アブ)ユーセフ・ナジャール。ミュンヘンのテロリストの作戦を指揮していた「黒い九月」のティームリーダーだ。PLOの古くからのメンバーで、以前はファタハの情報部の責任者だった。
2人目は、カマール・アドワン。PLOの作戦部長で、ガザ西岸を占領するイスラエル軍への攻撃の作戦責任者だった。
3人目は、カマール・ナセール。PLOのスポークスマンで、PLOの執行委員会のメンバー。それゆえ、「黒い九月」の一連のテロルについての政治的決定に関与していた。
ある真夜中、ティームは国防軍の特殊部隊と合流して、ベイルートの港湾に上陸した。ロバートたちは、アブ・ユーセフたちの宿舎に近づくための偽装の一環として、女装した。夜目には男女のグループは、陽気に浮かれた振りをして、海沿いの建物に近づいた。アパートの近くでは、PLOの護衛部隊待機して警戒していた。そのうちの1人が、男女のグループの接近を見て、追い払うために近づいてきた。非武装の民間人だと思って警戒心を緩めていた。
特殊部隊は、にぎやかに騒ぐ振りをしながら護衛部隊に近づくと、サイレンサー付きの銃を取り出して撃ちまくり、護衛部隊を全員片付けた。そして、アパートに近づき、標的の3人が滞在している2階に上る階段を昇った。彼らの後には、コマンド部隊の残りのメンバーが続いた。
彼らは、各部屋のドアを開けて、妻や家族を引き離して最初の標的を射殺した。銃撃の音が響いた。そのため、2人目の標的からは乱戦になってしまった。銃撃に巻き込まれた妻や家族も出た。
コマンド部隊の撤退が始まろうとしたとき、襲撃の急報を受けたPLOの兵員たちが駆けつけてきた。そのため、港湾では大がかりな銃撃戦(市街戦)になってしまった。
PLOメンバーはもとより、近隣の多数の住民がこの派手な銃撃戦を目撃したことから、翌朝の新聞やテレヴィで事件は報道され、国際問題に発展した。
この事件はフランスでも大きな関心を呼んだ。当然、ルイもまた、事の成り行きに当惑していたようだ。自分たちが提供した情報がもとになって大がかりな国際的事件が発生してしまったからだ。
そのため、アヴナーが次の情報を得ようとして、ルイと落ち合うことになっているパリ市街のある場所に行くと、ルイは、父親=ファミリーのボスが会いたがっていると告げた。ファミリーの本拠に同行しろというのだ。丸腰で目隠しして。
アヴナーは躊躇したが、今後も情報を得るために、ルイのルノーに乗り込んだ。
アヴナーはこれまでにルイに情報提供料として巨額の金(100万ドル超)を支払っていた。とはいえ、情報がイスラエルの秘密ティームによる報復作戦に利用されていることも知っていた。そして、今回はついに国際問題となるほどの大事件が発生した。
ルイのファミリーとしては、ボスが直接アヴナーに会って瀬踏みをして、信頼関係の継続を確認しておこうと考えたのだ。面会に応じなければ、ルイのファミリーはアヴナーの前から永遠に消え去るはずだった。
アヴナーを迎えたルイの父親は、表面は穏やかだが、何度も死線や修羅場を潜り抜けてきた、重い過去を背負っているような風貌の老人だった。彼は、アヴナーを家族そろった昼食に招待したうえに、そのための料理を手伝わせた。客人をもてなす聖餐は、ファミリーの指導者=長老が用意する、という習慣らしい。
ボスはアヴナーに、料理の材料を家の庭の菜園・果樹園から採取する手伝いをさせた。そして、いっしょに料理することで、ボスはアヴナーの「人となり」や性格を把握してしまった。
ボスが伝えたかったことは、こういう「裏の情報世界」では、人は「国家や民族、一族という歴史の重み」背負っているもので、その重みに耐えて自分が背負うものに対する責任・忠誠をまっとうするためには、情報の売り買いをする相手との相互の信頼関係を守ることが何よりも大事だ、ということだった。
食卓では、ボスは一族の歴史を語った。 第2次世界戦争中には、ナチスとその協力者、ヴィシー政権によって手ひどい弾圧と抑圧を受けて、かろうじて生き延びた。さまざまな組織との抗争もあった、と。
とにかく、アヴナーはボスとの信頼関係を固めて、ファミリーの本拠を後にした。
パリ市街の一角にあるロータリーでルイは車を止めさせた。その朝、アヴナーを乗せた場所だった。ルイはアヴナーに告げた。
「別の新たな人物についての情報があるんだがね」 「ほしいのは、アリ・ハサン・サラーメの情報だ」とアヴナー。 「アヴナーに関する情報は今はない。・・・今渡せるのは、ザイード・ムハーシ(英語読みでムシャーシ)という男の情報だ」
「ムハーシなんていうやつは、探していない。サラーメだ」
「いや、君たちにとって、この男は脅威として立ちはだかろうとしている。死んだアルヒールに代わって、新たにロシアとの連絡担当になった。危険な人物だよ」
というわけで、アヴナーはルイの説得に乗ることにした。
「その男はアテネにいる。ムハーシは、ギリシア人の貸家に住んでいる。われわれは、君たちのための安全な隠れ家を用意してある」