1970年代、イタリアは、西ヨーロッパのなかではスパイ活動や外国勢力の活動に対する当局の監視や警戒が最も緩いといわれていた。ゆえにこそ、「ヨーロッパのすべての陰謀はローマから始まる」とさえ言われていた。
作戦ティームのメンバーは5人。彼らは、陰謀の坩堝ローマで集結して、作戦や行動方針の確認をおこなった。
メンバーの顔ぶれは、
30歳くらいの、南アフリカ出身の運転手、スティーヴ。激昂しやすい性格で、直情径行。職業的技能を生かして、追跡や襲撃、闘争での車の運転が、主要な役目だが、もちろん武器弾薬の扱いにもすぐれている。
ドイツのフランクフルト出身のハンスは、公的な書類偽造の名人。初老にさしかかった年齢。主要な役割としては、作戦に必要なニセの身分証やパスポート、運転免許証などの偽造を担当する。
カールは、元はイスラエル陸軍の兵士で、修羅場でも冷静沈着に行動する。彼の任務は、暗殺活動の「現場の後始末」、「痕跡証拠の処理」だ。
5人目は、ベルギーの玩具製造職人のロバート(ロベール)。かつて軍隊で爆発物の処理・解体専門の工兵だった。その経験を生かして、暗殺用の爆弾づくりを期待されている。
彼らはこれまで、それぞれの国の市民社会でこれまで普通の市民として暮らしてきた。ただし、モサドのエイジェントとしての訓練を経て、市民社会に溶け込んできた。それが、今回の作戦のために非常呼集されたのだ。
■最初の標的、ズワイテア■
マフムード・ワーイル・ズワイテアは、ローマでは、アラブの古典文学と哲学史を研究する高名な学者として知られていた。『千一夜物語』を最初のイタリア語で翻訳出版するという業績で有名だった。高学歴のインテリで、公式の場ではいつもテロリズムや暴力、破壊活動を強く非難していた。
そのかぎりでは、パレスティナのテロリズムとは無縁な人物に見える。
けれども、モサドの調査では、ズワイテアのもう1つの顔は、ファタハのなかでもその残忍さを恐れられている暴力組織、「ジハーズ・エル・ラズド」という暗殺・破壊活動部隊の上級将校だった。今回の一連のテロルを立案・実行してきた「黒い九月」のローマ本部の統括責任者だったという。
そして、PLOの指導者アラファト議長の従兄弟だった。
アヴナーたちは標的の所在や動向に関する情報を仕入れるために、裏世界=闇の情報ルートに接触した。犯罪組織のメンバーや極左グループくずれの「ボヘミアン」などだ。そのなかで、ズワイテアがローマでアラビア文学史・思想史の研究者として暮らしていることをつかんだ。
ティームのメンバーは、ズワイテアを尾行・観察して、彼の日常の生活パターンや行動経路を探った。こうして、いよいよ、襲撃の日が迫ってきた。
アヴナーは「小枝型クッキー」で籤をつくって仲間たち全員に引かせた。その結果、アヴナーとロバートがズワイテアの暗殺を担当する役回りになった。
その日、ズワイテアはいつものようにカフェテラスでの一般市民相手のアラビア文学史の「青空講義」を終えると、食料品店で買い物をしてから家路に着いた。いつもどおりの道を歩いて、居住するコンドミニアムのエレヴェイターの前に立った。
そのとき、ズワイテアは後ろから接近してくる2人の男に気づいて振り向いた。男たちはズワイテアに「あなたは、ワーイル・ズワイテアか」と尋ねた。
「そうですが、・・・」と答えると、2人の男は銃を抜いて構え、ズワイテアに狙いを定めた。ズワイテアは、2人に「暴力はやめなさい。穏やかに」と宥めた。
アヴナーとロバートはともに一瞬躊躇したが、続けざまに拳銃を撃ち込んだ。6、7発の銃弾を受けてズワイテアは即死した。アヴナーとロバートは早足で歩いて現場を立ち去り、スティーヴが運転する車(フィアット)に飛び乗った。またたくまに車は走り去っていった。
そのとき、現場にカールが落ち着いた足取りでやって来た。そして、飛び散った銃弾の薬莢を拾い集めて持ち去った。