アヴナーがサラーメに向かって歩を進めようとしたそのとき、アメリカ人の旅行者4人が近づいてきた。その1人がアヴナーのオウヴァーコートに取りすがって、声をかけた。
「やあ、ロジャー・バークじゃあないか。こんなところで」
酩酊した旅行者を装っていたが、目つきは冷静そのものだった。
その男は、あたかも旧友に再会したように、アヴナーを抱きかかえようとした。アヴナーは、人違いだと言って振り払おうとした。そこにもう1人のアメリカ人が、人違いだと言いながら割って入った。3人はもつれ合った。妨害に憤慨したスティーヴが、アメリカ人を振りほどこうとしてもみ合いになり、乱闘が始まろうとした。
とかくするあいだに、サラーメと仲間たちはそのブロックを過ぎたところで、タクシーを拾って乗り込んでしまった。
それを、カールも唖然と見送るしかなかった。
この4人は、間違いなくCIAのエイジェントで、サラーメ暗殺を回避しようとして介入したのだろう。誰も傷つけることなく、この場を切り抜けた才覚は見事と言うほかはない。
こうしてティームの計画は頓挫させられた。
一行はホテルに帰った。
目が冴えて眠れないアヴナーは、ホテルのラウンジバーにやって来た。カウンターで酒を飲んだ。すると、2人の男たちを置いた席から、若い美女が絡みつくような視線を送ってきた。
女性は明らかにアヴナーを誘っているようだ。
2人の男が席を立つと、アヴナーは女性の隣の椅子に移った。女性はアヴナーをベッドに誘おうとしていた。だが、アヴナーは断ってラウンジバーを後にした。
そこにカールがやって来た。アヴナーと雑談を交わしたのち、カールはバーに入っていった。
アヴナーは閉塞感に悩んでいた。妻が恋しかった。そこで、部屋に戻ってすぐに、ニューヨーク、ブルックリンで暮らす妻に電話した。
受話器をとった妻は、生まれたばかりの娘を抱きかかえていた。彼女は、夫に娘の声を聞かせてから、近況と心情を伝えた。妻と娘の声を聞いたアヴナーは、いく分心の落ち着きを取り戻して、眠りにつくことができた。
だが、眠りに落ちたアヴナーを待っていたのは、悪夢だった。ミュンヘンのテロルで人質になったイスラエル選手たちの姿と苦痛を連想した夢だった。ひどい圧迫感でアヴナーは目を覚ましてしまった。
アヴナーはふたたびラウンジに行ったが、カールも美女もいなかった。そこで、部屋に戻ろうとした。
彼の部屋はカールの部屋の向かい側だった。そしてカールの部屋から香水の香りが漂い出ていた。
おや、カールはあの美女をベッドに誘い込むのに成功したんだ。俺が最初に見つけた女なのに、と苦笑しかけた。が、匂いは途切れずに漂ってくる。カールの部屋はわずかに空いているのだ。開錠されたままだ。
任務上、そんなリスクをおかすことは、慎重で沈着なカールにはありえない。異変を感じたアヴナーを銃を手にして、カールの部屋に入り込んで様子を窺った。
カールは全裸のままベッドに仰向けに横たわっていた。近づいて調べると、カールは死亡していて、後頭部に血だまりができていた。あの美女とことにおよぼうとした瞬間に殺されたのだ。
彼女の第一の標的は自分だった。代わりにカールを殺したのだ。アヴナーは歯を食いしばりながら腹のなかからの叫びを漏らした。