今日から考えれば、素人同然の穴だらけの作戦だった。
だが、そのときまでドイツは――ナチスという醜悪な戦争犯罪者集団に牛耳られて無謀な戦争を仕かけた――敗戦国として、英米仏の連合諸国(国連)によって、つい最近まで単独の武装や軍事活動、武装警察活動を禁止され、訓練も厳格に制限されていたのだ。したがって、実施可能なテロリズム対策も、これまでほとんどまったく検討立案されることもなく、訓練もまったく施されていなかったのだ。
しかも、空軍基地に配備された狙撃要員はわずか5人で、装備は――射程距離が短く照準性能が劣るうえに連射ができない――ボルトアクション式狙撃ライフルでしかなかったという。テロリストは8人で、(爆発物も携行)速射式自動機関銃で武装していたのに。
さらに悪いことに、ルフトハンザの航空機は、すぐ飛び立てるような気配がなかった。給油が不十分で、エンジンも止まったままだった。
「何かおかしい」。ヘリを降りたテロリストたちは、すぐに罠の気配を察知した。
リーダーのマサルハは、ほかのメンバーをヘリの内部と近辺に張りつかせて、自分だけが偵察に出て行った。
それを見て、警察の狙撃隊が一斉に攻撃を開始した。
マサルハは即死したが、罠=奇襲を知ったテロリストたちは拘束されてヘリのなかに残されていた人質全員を射殺した。そして、狙撃隊を援護しているサーチライトを銃撃で破壊した。暗闇のなかで、手榴弾や爆薬による爆発が続いた。ヘリは2機とも炎上爆発。包囲する警察官もテロリストの銃撃を受けて、死者1人を出した。
飛行場内は混乱を極めた。
警察の装甲車(要員運搬車)が現場に突入してようやく制圧ができた。8人のテロリストのうち5人が死亡、3人が生きて逮捕された。
現場からの報道も、ドイツ政府の規制や情報管理があって、かなり混乱していた。最初の公式報道は、「人質全員が生存したまま救出=奪還された」というもので、これはイスラエル政府にも伝わった。
だが、しばらくして待ち伏せ攻撃の悲惨な結果が明らかになった。
イスラエル政府とクネセト(国民議会)は、テロル発覚直後、オリンピック委員会とドイツ政府に対して、ただちに大会を中止するように求めた。しかし、商業化(コマーシャライズ)し、国際的な政治儀式化したオリンピックは、テロ事件の公表後も空軍飛行場での惨劇まで、「平穏に」続けられていた。
惨劇後も、哀悼の意を表する一時的中断があったが、翌日からふたたび盛大に競技がおこなわれ続けた。外交的には、《イスラエルの完全な敗北》だった。そのうえ、パレスティナの悲惨な状況が世界中に知れ渡った。
とりわけ、イスラエル国家によるアラブ系パレスティナ住民への抑圧や破壊、理不尽な土地占拠や占領の実態が、テロの背景として各報道機関をつじて、これまた世界中に報じられた。
国際公論の次元では、テロルへの非難とともに、イスラエル国家の「正統性」「合法性」についても深刻な疑問や批判が寄せられた。
そして、巨大な経済的利権が集積したイヴェントでもあるオリンピックは、この事件で中止されるはずもなかった。巨大な利潤の獲得追求の場である大会は、イスラエル選手団の不参加を除けば、何事もなかったかのように、運営された。