■3番目の標的、アルヒール■
3番目の標的になったのは、フセイン・アブドゥル・アルヒール(英語読みでアルチール)という、おそらくは渉外(外交)担当の「黒い九月」のメンバーだった。この順番は、イスラエル当局が決めたというよりも、むしろ、ヨーロッパでのアヴナーらの情報収集の成り行きによるものだったと見られる。
外交担当だけあって、アルヒールは外見上穏やかで社交的だった。
モサドの調査によれば、彼はソ連=KGBとの連絡窓口、でPLOとソ連との協力関係の仲介役だった。その頃、パレスティナ過激派に対するソ連=KGBの影響力が浸透・拡大していた。
1968年頃から、ソ連はPLO・ファタハの軍事部門や武装組織への援助を強化してきた。兵器の供給やゲリラやテロリストの訓練=養成も引き受けていた。ソ連国内のKGBの訓練基地で何十人ものパレスティナないしアラブ人に「教育」や「教練」を施していた。
そして、こうしたKGB基地での出会いや交流によって、パレスティナ=アラブ過激派は、世界各地の過激派やテロリストとのネットワークや連携を形成しようとしていた。ただし、ソ連はその動きも自分たちの「完全なコントロール」のもとに置こうとしていた。
その意味では、PLOとソ連=KGBとの関係は、親密でもあったがギクシャクもしていた。イスラム系の人びとはソ連型のマルクシズムの影響力の拡大を歓迎していなかった。
とはいえ、双方の利害関心・思惑から、協力関係の構築が進んでいた。
それゆえ、アルヒールはKGBにとっては大事な手駒だった。だから、彼には常時、KGBのボディガードが付き添っていた。
アヴナーたちは、ソ連=KGBとの正面切った敵対は回避したかった。そこで、アルヒール暗殺は、確実に彼が1人きりになったところで実行しなければならなかった。
ルイの情報によって、アルヒールは今、キュプロスのニコシアにいることが判明した。ティームによる尾行や監視の結果、市内のオリンピックホテルに投宿していて、外出時には護衛につくKGB要員は、アルヒールの就寝時には引き上げることがわかった。
暗殺方法は爆殺。ベッドに爆薬を仕かける方法となった。アヴナーたちはホテルに密かに侵入して、ベッドのスプリング・フレイムにプラスティック爆薬を取り付けた。これまた電波によって点火させる方式だった。
その翌日、アヴナーはアルヒールの部屋の右隣に部屋にチェックインした。左隣の部屋には、新婚旅行のカップルが泊まっていた。
夕方、アルヒールはKGBの護衛を受けて部屋に帰ってきた。やがてボディガードたちは部屋を出た。
アヴナーは隣の部屋を偵察するためにヴェランダに出た。1つ置いた部屋のヴェランダには、新婚カップルが出てきていちゃついていた。しばらくして、アルヒールも出てきて、気さくにアヴナーに挨拶した。朗らかで開放的な人物だった。雑談の後、アルヒールは「おやすみ」を言ってベッドに向かった。
アヴナーも部屋のなかに入って起爆のためのシグナルを送るタイミングを計っていた。彼の部屋のライトを消すと、それを見たロバートが起爆信号を送る手はずになっていた。しかし、アヴナーは少しためらっていた。
だが、意を決してスタンドライトを消した。そして、いらついたように部屋のなかを歩き回リ始めた。
その瞬間、隣の部屋で爆発が起きた。恐ろしいほどの威力だった。隣の部屋と仕切る壁全体が破裂するように吹き飛び、アヴナーも激しく吹き飛ばされてしまった。
アヴナーの部屋の下の街路に駐車して様子を見ていたカールとスティーヴは、恐ろしい光景を見た。アルヒールとアヴナーが投宿している階全体に爆発がおよび、道路側に強烈な爆風が噴き出してきた。人を1人殺すような威力ではなく、1個中隊を全滅させるような破壊力だった。
ショックから立ち直ったアヴナーは、爆破の結果を確認するために、隣の部屋に駆け込んだ。部屋の四方の壁が破壊されていて、新婚カップルの部屋も爆風でめちゃくちゃに壊れていた。
アルヒールはというと、胴体は無数の肉片になって部屋中に飛び散り、四肢と頭部も引きちぎられて飛び散っていた。
アヴナーは、カップルを保護するように避難を誘導した。
そこにカールがやって来て、状況を把握するとともに、アヴナーの逃避を掩護した。2人は、スティーヴの車に飛び乗り、現場から一目散に遠ざかった。>/p>