補章-1 ヨーロッパの農村、都市と生態系
     ――中世中期から近代初期

この章の目次

1 人口増大と農業

農業革命としての三圃制

農耕形態と村落形態

2 領主支配と所領経営

3 周縁の農業経済

4 商品経済化のさまざまな結果

遠距離交易と領主支配の強化

周縁での変化の波

農民反乱とレジーム変動

5 農村と都市をめぐる環境・生態系

森林破壊と生態環境の組み換え

寒冷化と農業危機、疫病

人口危機と再編トレンド

6 世界市場と諸国家体系の形成への動き

7 都市の形成と人口配置

8 宗教都市から商業都市へ

司教座都市

商人層の台頭

9 領主権力と都市

10 交易路と都市の成長

商人権力の成長

通商ネットワークの発達

都市と国家

3 周縁の農業経済

  ところが、これは北西ヨーロッパの農村および農地経営の1つの形態――支配的な形態の1つではあるが――でしかなかった。すでに見たように、三圃制農業が普及した農村に直営地をもつ領主が獲得した余剰穀物はもはや現物の自家消費ではなく、商品交換を目的とするものになっていた。ということは、穀物を待ち望む都市や農村の住民が多数存在していたことを意味する。
  集住型農村形態が発展した地域の周辺、たとえばネーデルラントでは小村または散居型村落の形態が広がり、個別家族による特産物生産に重点をおく農業や近郊型の園芸農業(果樹、野菜栽培など)が発達した。そのなかでも、藍(染料の原料)とか麻(織布の材料)などは、早くから長距離交易を前提した農業だった。藍とともに羊毛繊維の染色(発色)材として利用されるミョウバンは、14世紀まで東地中海方面から運ばれていた。
  イングランド中部のように、大陸――フランデルンやライン、北イタリア地方など――の羊毛工業への原料供給地として牧羊業が発達した地域もある。また、アルプスの周囲の山岳地帯では、これまた遠隔地での繊維産業の原料となる亜麻や大麻の生産が普及した。このほか地中海地方やライン河中流域、ローヌ河、ガロンヌ河流域のぶどう園とワイン醸造などがある。
  それらは、加工用作物・加工品の生産への特化を進めて、特産物の販売と引き換えに食糧穀物を入手する道を選んだ地方である。13世紀以降は、このような遠隔地での消費のための特産作物生産が目立って広がっていった。
  これらの地方では、いち早く商品流通の経路と結びついて独特の農業が発達し、流通の結集点として近隣に都市が成長した。このような地方では、商品経済の浸透を土台として比較的自立的な農民経営を前提とした貨幣地代と地主的土地経営が普及する。

  つまり典型的な所領支配からはずれた周縁部から、次の時代をリードする農業の変貌が始まった。農村の共同体的な規制が弱いところに個別家族経営による特産物生産が成立する。
  特産物生産は、比較的遠隔地との交易に向けられるもので、遠方の市場へのアクセスが必要であり、互いに遠く離れた生産地と消費地とのあいだに商人が入り込むことが条件となる。局地的需要を超えた遠隔地での需要へのアクセスを組織できるのは、彼らだけだった。
  このような地方を支配する領主層にとっては、農業経営は個別家族にまかせておいて、彼らが得た収入のなかから地代や賦課・税を貨幣形態で取り立てる方が、管理ははるかに容易だった。そして、商人には、税や賦課の支払いと引き換えに、地場での特産物の集荷商業(仲買)特権を付与した。すると、領主にとっては、特産物生産の拡大とともに商人からの税金・賦課金収入が増大することになる。

  このほかにたとえばロワール河以南には、三圃制農業と集住型村落はほとんど普及しなかった。
  そこは気候地理学的にみて乾燥地で、深耕に適さないため、無輪犁――1頭の牛か馬に引かせた犁を人間が後ろから押して操った――による耕作がおこなわれていたのだ。だから、耕地は地条型ではなかった。共同で保有するような大がかりな農機具も発達しなかった。しかも、土地の肥沃度・生産性が低いため穀物生成量も限られていて、支えられる人口も小さかった。そのため散居型の小村落が通常だった。
  ここでは、賦役労働による所領経営よりも現物地代または貨幣地代による地主経営や分益小作制が広がった。農民=労働力が分散し、また都市の影響力が強いため商品経済が浸透していたので、領主直営の大規模農場経営は成立しにくかったのだ。
  人口が分散した地域では、村落の集団的規制も希薄で、直営地への労働力の集中が容易ではないため、農民の個別耕作の傾向が強く、領主への小作料や貢納も貨幣や現物による場合が多かった。
  そして、地中海沿岸の大方の地方では、二年輪作(二圃制農業)と移動式牧畜(移牧)が主要な農業形態になった。そこでは、もともと乾燥した土壌で堆積腐葉土も浅く、肥沃度は低かった。しかも、畜獣は移動飼育されるため家畜糞尿が施肥に利用されことはなく、土地の肥沃度は低く押さえられた。
  だから、土地生産性は低く、集住型農村を成り立たせるほどの人口を維持できなかった。このような地帯で賦役労働による所領=直営圃場経営は成り立ちようがなかった。

  ネーデルラントや地中海地方では、いち早く11世紀ないし12世紀に多くの都市が勃興して地場経済の商品化が進み、しかも遠隔地を結ぶ商業も急速に発達した。農村は人口や集落が分散的で領主権力も弱かったことから、商品経済の網の目に絡め取られていくのも早かった。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

◆全体目次 章と節◆

序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブリュージュの勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望