補章-1 ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から近代初期
この章の目次
こうした農業環境と生態系の変化は、気候変動によるダメージに脆い農業=食糧生産・供給環境をもたらすことになった。14世紀にはヨーロッパ全般に気候の寒冷化が明白に進んだようだ。
周期的にひどい凶作がやって来た。他方で、人口は当時の食糧供給能力が支えられる限界にまで増加し、しかも農村でさえ、他地域からの穀物供給を必要とするようになっていた。都市の成長とともに、遠隔地からの穀物供給に依存する人口が急増していた。凶作は深刻な飢饉に直結した。
人間の活動は、結局のところ、地球環境の長期的変動に制約されるということも忘れてはならない。とくに最終的に人口の再生産を基礎づける食糧生産農業は、気候の変動や地表状態の変化、近隣の植生・生態系の変化によって直接に影響されるのだ。
中世的世界からヨーロッパ世界経済と諸国家体系が出現する、あの「長期の16世紀」つまり、14世紀から17世紀には、とりわけこのことが当てはまる。というのは、この時期は全地球的規模での寒冷化が進んだ時期だったからだ。
ヨーロッパでは、12世紀に比べて14世紀以降、3~4℃も年平均気温が低下したという。とくに17世紀には低温化が進んだようだ。それは、河川の水量の変化、運河の結氷期間の延長、海面の後退などを引き起こし、経済の外部環境を変え、農業や船舶輸送業などに影響をおよぼしたはずだ。
地中海やバルト海の貿易に依存していた都市では、海退によって港湾を失ったところも続出したという。
とくに穀物生産は打撃を受け、食糧供給の危機が訪れた。
こうして、増大した人口に見合った食糧供給が不可能になった。凶作と穀物・食糧価格の高騰、食糧供給の危機、飢饉が波状的に発生して、人びとの栄養状態は悪化した。
それは健康状態の悪化や免疫力の衰退を不可避にした。気温の低下――冬の長期間化と厳寒の襲来――も民衆の体力を奪っただろう。ヨーロッパ各地で餓死・衰弱死者が続出した。生き延びた人々も免疫力を奪われていた。
しかも、都市での人口の集中による住環境・衛生環境の悪化が進んでいった。西ヨーロッパの都市には下水道はなく、汚水や腐敗しやすい生ごみ、汚物は街路に投げ捨てていた。ゆえに、都市での民衆の生活状態は疫病に対してますます無防備になり、疫病が伝播蔓延しやすい環境をつくりだしていった。
森林面積の後退と人間居住地の拡大は、居住地近辺でのペストの媒介生物クマネズミやノミ、ダニの大量発生を誘発したという。しかも、商品・貨幣経済の浸透とともに、人の交流・接触と移動距離も拡大していた。聖地をめぐる巡礼も盛んになろうとしていた。集散・移動する貨物や人に感染症ウィルスや病原菌、媒介生物が随伴・付着することも多かった。
その結果、14世紀半ば以降、ペストなどの疫病の蔓延が周期的に繰り返されるようになった。疫病の流行によって、人口が激減し、農村および都市集落の荒廃がやってきた。
ことにペストは、栄養失調ですでに死にかけていた人口に最後のとどめをさした。当時の年代記や人口資料によれば、14世紀のペスト流行でヨーロッパでは人口の3分の1、場所によっては3分の2が失われたという。疫病による人口の減少は西ヨーロッパの方がひどく、東ヨーロッパ、バルト海地方がずっとましで回復も早く始まったという。
それゆえ、遠距離貿易の回復と成長はバルト海・東欧方面から進んだように見える。フランデルンを中心として北海沿岸とバルト海を結ぶハンザ諸都市の貿易が力強く成長し始めた。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成