補章-1 ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から近代初期
この章の目次
波状的に繰り返した災厄によって、都市はもちろん農村の人口と生産力は壊滅的打撃を受けた。だが、農民人口の激減が今度は、森林破壊に歯止めをかけた。荒廃し見捨てられた村落の廃墟が、ふたたび森林に呑み込まれたところも多かった。こうして生態系と農業環境が回復した。
このような〈食糧危機⇒疫病⇒人口危機⇒均衡の回復〉のサイクルは、14世紀から17世紀まで繰り返しやって来たようだ。激減した人口は15世紀はじめまでには回復し始め、そののちは急速に増大していった。
だが、17世紀には最後の大規模なペストの流行がヨーロッパを襲う。
その結果、食料供給と人口圧力とのあいだに新しい均衡がもたらされた。
打撃は、穀物生産の停滞がひどかったイベリアや地中海方面の方がずっと深甚だったという。その頃、ネーデルラント諸都市がハンザに代わってバルト海貿易を掌握していた。バルト海(東欧)から地中海方面への食糧供給をめぐる貿易の成長を足場のひとつとして、地中海貿易でもネーデルラントの最優位が確立するのは、この頃であった。
このように14世紀以降、農業危機と疫病蔓延によって労働力人口が激減し農業やマニュファクチャー、商業などの経済活動の停滞と危機が訪れた。人口の回復には2世紀以上かかったという。
それは秩序の危機と変動=再編成を引き起こした。世界市場の生成や統治構造の転換が進むこの時代は、このような生態系や人口状態の変動が生じた時期でもあった。再編された遠距離貿易をつうじて穀物や食糧を調達する仕組みも成長した。
危機に直面したとはいえ、ヨーロッパの基本構造と変動の方向は変わらなかった。むしろ加速したとさえいえるだろう。
ところで、13世紀以降、北イタリアや北ドイツでは都市の権力構造と生存環境が構造転換していく。
政治的・軍事的に独立した政治体となった有力諸都市では、近隣の農村地帯を食料供給地として囲い込み、支配しようとする動きが強まった。食糧危機が招く下層民衆の暴動や反乱を回避するため、都市は食糧の安定供給と価格安定をはかる政策措置の構築を模索するようになり、それが都市の行財政組織に独特の変容を与えていった〔cf. Tilly〕。
他方で農村人口の減少と農村の荒廃は、とりわけ地代貢納を受け取る領主経営にも深刻な打撃を与えた。西ヨーロッパでは領主層は、ひとまず所領内に農民が住みやすいように、地代や貢租の軽減、あるいは賦役から貨幣地代への転換などを競っておこなった。大領主層は所領農場の直接経営からは手を引き、借地農=農業資本家に土地を貸し出して受け取る貨幣地代に依存した家産経営に重点を置くようになっていく。
こうして、農民と領主の力関係の変化が生じた。だが、領主経営の危機は、支配の強化への潜在的傾向をもっている。というのは、すでに見たように貨幣経済の浸透で、領主層は生き残りを賭けて収入増大のための方途を血まなこで探らなければならなくなっていたからである。
領主支配の強化は農民や都市住民の抵抗を招き、秩序維持のコストとリスクを増大させる。その帰結は、すでに見たように、領主経営の危機と王権・君侯による集権化――弱小領主の併呑――の進行である。
このように見ると、遠距離貿易の発展や都市の成長、諸国家体系の生成は、13、14世紀から17世紀まで続いた危機への諸地域、諸階層、諸勢力の対応が複合的にからみあった結果だともいえようか。
15世紀からは人口の急激な増加が始まった。
北西ヨーロッパでは貿易と製造業が成長して、王権が強化されていった。ところが、東ヨーロッパでは領主の直営地経営の拡大によって穀物生産が増大し、地方領主の権力の拡大と王権(君侯権力)の衰退が生じた。ゲルマニアでは16世紀にかけて領主と農民との衝突・紛争が頻発持続した。
イベリアでは貴族が経営する移動式牧羊業が成長した。ことにレコンキスタの進展で領土を拡大したカスティーリャでは、牧羊業を経営する聖俗の有力貴族の権力と王権が結びついて、強大な君主政国家が形成されようとしていた。イスラムに対する再征服運動と十字軍運動とが結びついていたことから、王権と領主の軍事力の強さがきわだっていたようだ。
この変化の基礎には、穀物生産農業での著しい生産性の上昇があった。
商業や製造業が成長し、さらに農村でも穀物栽培から牧羊や果実、加工用農産物の栽培に転用される土地が増加することで非食糧生産人口が増大していた。さらに、香辛料の普及にともなって肉食が増加したから、食肉用蓄獣の生産への土地の利用も増大した。
そうすると穀物生産の拡大ペースはきわめて大きかったわけだ。
フィジオクラートが言うように、ヨーロッパ全体の総人口の再生産は食糧生産を担う農業からの供給に依存していた。貿易や金融、製造業の成長も、ヨーロッパ的規模での諸産業・諸地域の物質代謝=社会的分業体系も、人類生態学的に見れば、最終的に農業での経済的剰余の飛躍的成長に依存していた。
してみれば、遠距離貿易を中核とする商業と商品流通のメカニズムは、したがってまた、それに従属した地主制領主経営は、食糧を生産する農業部門で生産された経済的剰余をほかの農業部門や製造業、とりわけ商業への移転・分配を権力的に行なう仕組みだったということができる。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成