補章-1 ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から近代初期
この章の目次
都市の成長を、諸産業の成長・展開と貿易網の形成、商業資本の力の拡張という面から見てみよう。商人たちはどのように活動し、交易ネットワークはどのように形成されたのだろうか。
教会や修道院の所在地では定期的に市――年市、月市、週市――が行われていた。遠方の各地から特産品がもち寄られた。こうした市場を当て込んで、遠隔地の特産物を仕入れて売り歩く遍歴商人が離合集散した。そのうち大きな都市の市場は常設化し、遍歴商人による冒険的な遠距離交易が成長し始めた。
こうした遍歴商人となったのは、北西および内陸ヨーロッパでは、はじめにユダヤ人やアルメニア人、シリア人、のちにフリースラント人などで、都市や農村の共同体から離脱・遊離した人びとであった。彼らは、共同体の扶助制度や規範から排除されていたがゆえに、生業の手段としては、そうした局地的に拘束された視野や規範の制約を逃れ、広い視野で通商や金融を営むしかなかった。だが、ことに金融業はローマ教会の戒律で信者には禁止されていたので、これを営むユダヤ人(ユダヤ教徒)たちはキリスト教徒たちから差別されることになった。それでも、とにかく生き残る術を学ばざるをえなかったようだ。
そのほか北欧諸部族も、古くからヴァイキングとして北海・バルト海沿いに通商や植民活動をおこなっていた。海運をつうじて植民集落どうしの交通や交易関係をとり結んだようだ。
やがて11世紀後半からは、キリスト教徒の一般都市住民のなかからも隊を組んで馬や舟運で遠方に商品を運ぶ商人が出現した。彼らは自らの生命はもちろん運搬する商品と携行する財産の防衛のために、遍歴組織(仲間)をつくり自ら武装していたが、そのうちさらには武装した護衛者(傭兵騎士など)を雇うようになった。
そしてこの仲間集団の内部での組織的統制や権利義務関係の確認・保護のための規律=掟をつくった。また、都市領主や都市団体と交渉して、訪れる都市での交易特権を賦課金・税の支払いと引き換えに獲得していった。
その権利は、同じ商人仲間に属すメンバーで共有・分有した。つねに地理的に移動する商人であればこそ、特定の仲間団体への帰属つまり属人性にもとづいて権利を受け取ったのだ。こうして、商法や海商法の起源として、まず属人主義的な法=権利をもつ商人団体ができあがった。
というしだいで、各地から集まる商人の間に一定の取引慣行、商慣行ができあがり、商人団体の内部および相互間では、細かな商慣習や約束が法規範として定着していった。陸上や河川、海上の運輸交通をめぐる取引に関する規範も定着していった。
やがて商人団体相互間に通商をめぐる同盟協定がとり結ばれるようになる。有名なのは「商人ハンザ」だ。
さて、遠距離交易の拠点や結集地には商人の溜まり場や宿泊所、倉庫ができ上がり、やがて市場の周囲に商人が定住するようになると市街集落ができ上がった。それ以前からも、教会・修道院や俗界貴族の居城の近隣には小商人や手工業者が集住していたが、いまや、遠隔地交易を担う商人が集住して倉庫や商館など商品の流通管理拠点を設営するようになると、有力商人の居住都市が交易・決済・金融の中心となっていった。
このような商人定住区にできあがってくる仲間団体(身分集団)が、都市商人ギルドである。そうなると、今度は特定の都市への定住=帰属が権利の根拠となる属地主義的法規範が生み出されていく。それにともなって遠距離商人たちは、有力都市に経営の本拠を固定するようになった。
そして、ついに14世紀頃には、北海――ネーデルラント、イングランド、北フランス――沿岸、バルト海沿岸および北ドイツの諸都市のあいだの通商協定にもとづく同盟(都市ハンザ)が形成されるようになった。
属人主義とは、権利や権限を生身の人身・人格性そのものに帰したり、特定の仲間団体=法人格への帰属ないしは君侯などへの臣従関係を根拠として権利義務関係を発生・発効させる原理を言う。
これに対比すべき属地主義は、特定の都市や王国などの政治共同体(地理空間)への帰属から権利や権限を導き発効させる原理だ。この原理は都市や領主が領域的支配(領域国家)を形成し始める頃から定着し、近代国民国家で完成される。だが、属地主義の基層には、属人的原理が横たわっている。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成