補章-1 ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から近代初期
この章の目次
農村集落の数が増加し、集落の規模が拡大し、所領での農業生産が発展し剰余農産物の集積が可能になるのにともなって、世俗ならびに聖界領主の拠点としての城砦や修道院も増えていく。その周囲には僧侶も含めた領主階級に生活必需品や武器、奢侈品を供給する手工業者が集住するようになる。
そして、彼らが生産と生活を営む都市集落が形成されていく。彼らに食糧や原料を供給する商人も巡回し、やがて定住するようになり、こうして多数の都市集落を取り結ぶ交易路も広がっていく。
ところで、商品流通との結びつきが領主支配の強化に結びつく場合もあった。13世紀の北西ヨーロッパでは、聖俗の大規模所領を経営する上級領主層がより多く剰余農産物を農民から収奪するために、農民から自営の保有農地や開放耕地を奪い取ったりして直営地を拡大し、農民を追い立て、貨幣地代や現物地代に代えて賦役労働を農民に押し付けていく動きがあった。
所領から上がる剰余生産物の量を増やし、商品流通経路により多くの生産物を送り込みより大きな貨幣収入を得るためであった。領主経営が商品貨幣経済に深く組み込まれたがゆえの反応であった。
というのも、貨幣流通量の絶えざる増大――インフレイション――とともに固定的な貨幣地代(収入)の実質価値は目減りするのに対し、直営地の賦役労働で生産した農産物をより大量に販売する方が利益は上がったからである。先進技術を導入しやすい大所領では、集団労働の生産性を上げる見通しが立ったという事情が背景にあった。
しかし、大所領での生産性上昇はヨーロッパ全域で農産物の供給量を高めたため、穀物供給の相対的過剰と農産物価格の下落を招き、直営地拡大のうまみは失われ、むしろ経営は難しくなった。
そのため、次の世紀には賦役労働はふたたび貨幣地代に戻っていった。14世紀から15世紀にかけては、直営地をいくつもの貸地に切り分けて貨幣地代を収取する地主的土地経営への転換が始まったのだ。
とりわけヨーロッパの辺境であったイングランドでは、地主領主から耕地を借りて農業労働者を雇用する借地農経営や小規模な保有農経営が成長した。
ただし、西ヨーロッパでも、大修道院の多くは、農民への搾取を宗教的倫理によって抑制しながら、大規模な直営地経営を続けたようだ。もちろん、苛烈な農民搾取にはしる修道院領主もあった――これには農民の反乱や蜂起という結果が付随したようだが。。
いずれにせよ、農民村落の自治管理能力は高まることになった。それはまた農民の間の格差が拡大していく過程でもあったのだが。
だがイングランドでは、修道院の大所領は16世紀の宗教改革で王権によって没収・解体され、貨幣経済に順応した地主貴族層や資本家的企業家に切り売りされた。修道院所領で比較的恵まれた環境におかれていた農民たちは、土地から追い立てをくらって厳しい競争と搾取が横行する環境に投げ出されてしまった。
他方、小規模な、あるいは分散した領地や散居型村落の多い領地では、生産の集中管理は不可能だったので、農民経営のある程度の自由を前提とした地代の金納化がさらに進んだという。
こうして、商品経済の浸透は、農民の「自由化」と「不自由化」という相反する結果を交互に呼び起こした。
長期的なスパンでの結果は、借地農経営や小規模保有農経営への移行であった。だが、この転換は農民の地位の向上あるいは権利の保護・拡大を少しも意味しなかった。
ヨーロッパ世界市場の形成とともに厳しい競争・経営環境のなか投げ込まれた結果、小規模・零細農民の経営がしだいにむずかしくなり、借金がかさみ土地を手放さざるをえない農民が増加した。
彼らが手放した農地は、地主や富裕な農民はもとより、近隣諸都市の富裕商人層が買い集めていった。土地保有権の集中、つまりは、農民層の内部での上下の階層分化と商業資本の権力のもとへの包摂が進んだわけだ。
領主による典型的な所領支配が普及しなかった地域はどうだったか。
河口湿地や潟の干拓などで狭いながらやっとのことで耕地を確保したネーデルラントでは、土地の集約的な利用のために、また早くから発達した都市集落が近傍にあったため、果実や野菜、花卉、加工用農産物などの商品作物栽培が行なわれるようになっていた。
そこでは、低湿地から干拓用堤防越しに水を海に汲み出すため、あるいは灌漑用水を河川から農業用水路に汲み上げるために風車と歯車機械を利用してきた。こうして古くから干拓・土木工業や風力機械などのテクノロジー(マニュファクチャー)と農業とが早くから結びついていて、土地や作物の改良、園芸作物の栽培技術の開発などへの関心が強かったようだ。というよりも、経営環境の悪い辺境で生き残るためには、それしかなかったということか。
干拓や農業土木との結びつきのなかから、ネーデルラントでは木製起重機、歯車機械などを利用する造船業や建設業が早くから発達したという。
農業経営の環境としては辺境ないし周縁に位置するイングランドやネーデルラントではマニュファクチャーや都市との結びつきが強く、14世紀以降の商品経済の急速な拡大に対応しやすい農業構造だった。だが、その代わり、農民は早くから社会的ダーウィニズムの脅威に向き合う環境だったといえる。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成