補章-1 ヨーロッパの農村、都市と生態系
     ――中世中期から近代初期

この章の目次

1 人口増大と農業

農業革命としての三圃制

農耕形態と村落形態

2 領主支配と所領経営

3 周縁の農業経済

4 商品経済化のさまざまな結果

遠距離交易と領主支配の強化

周縁での変化の波

農民反乱とレジーム変動

5 農村と都市をめぐる環境・生態系

森林破壊と生態環境の組み換え

寒冷化と農業危機、疫病

人口危機と再編トレンド

6 世界市場と諸国家体系の形成への動き

7 都市の形成と人口配置

8 宗教都市から商業都市へ

司教座都市

商人層の台頭

9 領主権力と都市

10 交易路と都市の成長

商人権力の成長

通商ネットワークの発達

都市と国家

7 都市の形成と人口配置

  さて時代をさかのぼって、農耕に変革が起きた9世紀から13世紀は、ヨーロッパ各地で都市が形成されていった時期である。
  都市とはいっても、人口数百程度の集落がほとんどだったようだ。14世紀になっても、地中海地方を除けば、人口 2000を超えればひとかどの都市であり、1万以上になると大都市として、中世ヨーロッパの地理的空間では周囲に圧倒的な影響力・圧力をおよぼしたはずである。
  今日の都市と比べると取るに足らない人口であるが、当時の社会空間に占めるその重みを考えてみよう。

  中世ヨーロッパの住民はどのような環境に生存していたのだろうか。11世紀には北西および中部ヨーロッパの大地のほとんどは自然林と草原が占めていた。その自然林の大海のなかに点在する農村集落は、まるで群島あるいは孤島のような存在だった。だが、修道院や聖界領主に指導された農耕地の開拓が進み、自然林の面積はしだいに侵食されていった。
  それにしても11世紀までは、森林が圧倒的な面積を覆いつくし、そこに「虫食い模様」あるいは「くさび状」に入りこんで人間社会が分布していた。樹林が切り払われて住居や耕地がつくられていったが、集落や耕地の周りは牧草地や草原、荒蕪地、叢林が取り巻き、さらにその周囲を森林が取り囲んでいた。

  都市はといえば、9世紀頃から多くの場合、古代ローマの砦や植民都市の跡地に、あるいは河川に沿った地点に、これまた宗教界の指導者によって聖堂や修道院を中核として集落が建設されていった。ガリアの古代都市が再建された場合もある。
  パンや食器、生活用具や典礼用具など、聖職者とその従者たちの消費財を生産する職人が、修道院や教会、宗教施設の周囲に住みついた。やがて、商人居住集落が市街に取り込まれたりして、商人も都市の住民となった。
  北西および中部ヨーロッパでは、数百人というのがほとんどの都市集落の人口だった――農村集落と大差なかったようだ。これに対して、古代から都市が維持されてきたイタリアでは、人口1万以上の都市が多数あった。また、イベリアでは、イスラム文明の発達したテクノロジーによって大規模な都市が建設され、上下水道や廃棄物や排泄物処理施設、教育・文化施設を備えていた。
  食糧は都市集落の周囲で生産されていたが、近隣の農業が食糧のすべてをまかなうことができなかった。手工業の原料の多くは遠方から来た。近傍あるいは、当時の輸送技術で可能な範囲の遠方から、パンの原料になる穀物や手工業の原料となる金属、鉱物、木材などが供給される必要があったわけだ。
  この供給を担ったのが商人だった。彼らは都市集落を拠点にして、買い付けや販売のために各地を遍歴していた。遍歴商人の活動によって11世紀から遠距離交易の経路ができあがっていった。
  ヨーロッパ各地の交易ネットワークの形成は、各地のあいだの社会的分業と相互依存関係の組織化でもあった。
  ある程度発達した造船業や毛織物繊維産業などは、局地的に自然発生したのではなく、むしろ商人たちがヨーロッパ的規模の視野でなかば戦略的・選別的に育て上げたものだった。フランデルンの毛織物製造は、商人たちが育成したものだった。

  河川が海に注ぐ河口付近や入り江に港湾都市がつくられ、交易経路の交差点や大きな海峡や湖沼、山岳という自然の要害の前には、中継地点・待機場所としての都市集落ができあがった。諸都市を結ぶ街道ができ上がり、船舶による河川交通が物流の動脈となった。
  ライン河、モーゼル河、マイン河、ドーナウ河、セーヌ河、ロワール河、ローヌ河、ガロンヌ河、マース河、シェルト河、エルベ河などの主要河川の沿岸に都市が並ぶのは偶然だろうか。拠点となる河川都市どうしを結ぶ中間の平坦地にも、中継地点として都市が成長した。
  数百から数千におよぶ人口が集まる諸都市は、人口希薄な中世にあっては、非常に大きな社会的・経済的な重力の中心であり強力な磁場だった。
  13~14世紀には、北西ヨーロッパ最大の都市パリは人口およそ8万から12万、ガン、ブリュージュが約5万、ケルンが約3万、リューベクで2万弱だといわれている。
  これらの巨大都市は、けた違いの消費需要と購買力で大量の経済的資源を引き寄せ吸入し、周囲の中小都市や農村に対して生産や流通をめぐって横柄な指図をしながら、圧倒的な影響力をおよぼしていた。
  近隣の君侯や領主層から見れば、こうした都市との関係しだいで権力基盤の強弱は天地ほどの違いが出ることになった。
  人口密度が高かったイタリアでは、人口1万以上の都市は20以上もあって、ミラーノは10万以上、9万前後がヴェネツィア、フィレンツェ、ジェーノヴァだった。
  ここでは独特の人口力学がはたらいていて、都市の地理的・空間的構造が他のヨーロッパ諸地域と異なっていただけでなく、すでに《地中海世界経済》が成立し、そのなかで北イタリアでは、都市を中核とした人口稠密な政治体=都市国家があまた形成され、世界貿易での優位をめぐって相互に攻めぎ合っていた。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

◆全体目次 章と節◆

序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブリュージュの勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望