序章 世界経済のなかの資本と国家という視点

この章の目次

はじめに

1 資本の概念体系について

ⅰ 経済学批判要綱のプラン

ⅱ 度外視された問題群

2 生産様式と諸国家体系をめぐる論争

ⅰ マルクスの本源的蓄積論

ⅱ ローザ・ルクセンブルクの問題提起

ⅲ 生産様式論争

ⅳ 従属論争と新従属論争

ⅴ 構造的暴力と不平等交換

ⅵ 国家導出論争

3 世界システムとしての資本主義

4 「資本の支配」の歴史区分

ⅰ 資本主義はいつ始まったか

ⅱ 資本主義の時期区分

ⅲ 世界経済の長期波動

ⅳ グローバル化のなかの国家

5 世界経済のなかの資本と国家、そして都市

ⅵ 国家導出論争

  《資本》をはじめとするマルクスの政治経済学批判の構想から「資本と国家」の関係を読み取り直そうというアカデミズムの運動が、1960年代末からドイツを中心に展開された「国家導出論争 Staatsableitungsdebatt 」である。
  ここで〈導出 Ableitung 〉という用語は、簡単に言うと、存在の必然性や根拠を論証するという意味だ。
  論争は、「資本蓄積はなぜ国家を必然的なものとするのか」を理論的に説明する方法をめぐって展開された。論争の進行にともなって、資本蓄積のイメージと国家の構造や機能の説明は具体化されていった。生産様式論争や従属論争、さらに多国籍企業論争の論点が組み入れられていったのだ。
  論争はまず、資本主義における国家一般の存立の必然性をめぐって始まった。それは、ソヴィエト・マルクシズムとリェーニンの国家論──つまり「国家の本質は階級支配・抑圧のための道具ないし手段」という理解──からの解放を意味した。
  たとえていうならば、自動車や鉄道を交通・運輸の手段だといってみても、そもそも自動車や鉄道がどういう存在かを説明できないように、この道具主義的国家観はほとんど何も説明していない。「~のための道具や手段」といっても、それ自体が何かを規定しなければ、そもそも説明にならない。

  道具主義的国家観からの脱却は、とくにスターリン体制のもとで粛清されたソ連の法理論家、パシュカーニスの洗練された学説が西ヨーロッパに紹介されたことがきっかけとなった。
  ロシアの晩期ツァーリズム政権の粗暴な支配と民衆の絶望的反逆との対決のなかで、軍隊・警察などの行政装置が民衆抑圧の前面に出ていたロシアの経験に制約されることを免れなかったリェーニンの国家認識から距離を置いて、パシュカーニスやストゥーチカたちは西ヨーロッパの市民社会での統治の論理や市民法の論理に注目したのだ。

  西ヨーロッパ市民法では、論理的形式上、市民は相互に等価な意思の担い手として向き合い、契約関係を取り結ぶ。国家は、このような市民の総意の担い手、エイジェンシーとして現れ、社会全体での経済的行為の安全性を保証する役割を果たす。
  この論理は、商品交換の論理として、生産過程と分配過程での資本家的搾取の媒介として機能しながら、この搾取を覆い隠すヴェール――虚偽または仮象のイデオロギー――の役割を果たす〔cf. Paschukanis〕
  しかし他方で、市民権の下層階級への拡大にともない、この等価な権利の担い手の相互関係を基礎にした「契約と統治の論理」は経済的再生産を制約することになる。市民権的な論理をもつ制度をつうじて、あまりに抑圧的な資本家的搾取と従属階級の暴力的反乱をともに抑制し、社会秩序の安定を保証するシステムが展望できるからである。
  もとより、それは民衆の抵抗運動があってはじめて実現する成果(たとえば従属階級の参政権や社会政策など)なのだが。
  それにしても、市民を対等に向き合わせるという論理は、資本主義に内在的な商品交換の論理の延長線に沿ったものと見るわけだ。
  このように、パシュカーニスとストゥーチカは、ブルジョア社会の階級関係を媒介するこのような論理形態に着目した。彼らは、マルクスの《資本》の商品理論、とくにフェティシズムの論理を洗練させていった。その論理は、日本では川島武宜とソヴィエト法学の藤田勇が体系的に整理している。

  ドイツのマルクシストたちは、このような文脈を組み込んだ資本主義的国家の理論を描こうとしたのだ。リェーニンの《国家と革命》やエンゲルスの《国家の起源》ではなく、《資本》を近代国家の必然性を論証するための基礎としたのだ。
  彼らの論争を今ここで整理すると、資本主義的社会で国家の存立を必然化する論理は、《資本》の構成に沿って二重になっている。1つは商品生産社会の論理であり、もう1つは資本主義的階級関係の論理である。
  まず、商品生産社会では、商品の流通を妨げる制限を排除し、市場環境の安全と安定をはかり、貨幣を発行管理し、度量衡基準を制定する公的権力が不可欠となる。それは必ずしも国家でなくてもよいのだが、全社会を統治する機関として国家がこのような機能を担当することになる。
  他方、資本主義的生産は、資本=賃労働を基本とする階級関係をつうじて組織されている。生産過程での資本の指揮命令権力は、労働力に対して抑圧的な傾向をもつうえに、分配の敵対的形態は労働者階級の消費・生活水準(購買力)を貧困化しがちである。ゆえに、個々の企業レベルでも産業部門レベルでも、さらに社会全体でも労働者の集団的・階級的な抗議や反乱のタネがころがっていることになる。
  こうした抵抗を封じ込めたり、抵抗を過激化させるような資本家側のあまりに粗暴で抑圧的な経営を和らげるために、「総資本」の立場から秩序を維持するレジームが必要となる。それが国家だというわけだ。
  そして、利潤をめざす個別資本のあいだの競争が社会総体として無政府的な拡大再生産に駆り立て、しかもそれが大衆の消費力を貧困化させるような分配システムのもとで繰り広げられるため、過剰生産恐慌が周期的にやってくる。
  不況は従属階級に過酷な犠牲を押しつける。失業や労働条件の劣悪化である。この破局は、資本家の経営をより抑圧的にするとともに、労働者の抵抗を過激化させ、社会秩序を不安定にする。こうした危機を封じ込めるためにも、国家の強制力が不可欠となる。「社会的総資本」の立場から個別資本家の横暴を抑えるとともに、社会政策によって労働者のプロテストを秩序の枠内に誘導する機能を担うことになる。
  というような二重の論理で、資本主義的社会での国家の必然性を導き出したのが、国家導出論争の「前半」である。しかし、このような理解は、かなり抽象的である。ここでは「ブルジョア国家一般」の必然性は根拠づけられるけれども、国民国家(国家または政治的支配の Nationalität )の存在根拠は少しも論証されない。

  現実に存在するのは、世界市場というフィールドで相対抗し合う多数の国民国家である。総体としての世界市場に存在するのは、多数の諸国家からなる1つのシステムとしての諸国家体系 Staatensystem なのだ。折しも、生産様式論争や従属理論が多くの具体的な批判点を提出していた。そこでこの論争の「後半」が始まる。後半戦をリードしたのは クリステル・ノイズュスとクラウディア・フォン・ブラウンミュール(ともに女性)だった。最も体系的に論点を打ち出したのは国家財政学者のブラウンミュールlだ。
  彼女は、現実に存在するのは「ブルジョア国家一般」ではなく「ブルジョア国民国家」であるということから、ヨーロッパ中世社会(封建制)の解体過程と世界市場の成立という歴史的文脈において複数の国民国家の形成の必然性を導き出そうとした。そのために、マルクスやローザ・ルクセンブルクの本源的蓄積理論を援用して、中世の遠隔地貿易をつうじての商業資本の権力の成立、ヨーロッパ諸国家体系の形成過程での絶対王政の役割、資本蓄積にとっての重商主義や植民地支配の意義などを整理していった〔cf. Braunmühl〕
  導出論争の後半では、社会的・経済的再生産への国家の介入 Staatsintervention などの要因も詳細に分析され、景気循環の波動を緩和するような国家による人為的な需要供給、貨幣資本や信用の供給、科学技術政策など多岐にわたる問題群が検討された。だが、ここでは、世界経済という文脈での国家のとらえ直しについてだけ論及しておく。

  このようにして、マルクシズム国家論の再編成が世界的規模で進んでいった。それは、ヨーロッパ、アメリカなどを中心にマルクシズム国家論の共同研究あるいは論争の場を求めるアカデミズムの動きを呼び起こし、70年代前半、《 KAPITALISTATE 》という雑誌が発行された。加藤哲郎が「国家論のルネサンス」と表現した動きである。
  だが、資本主義的世界経済のなかに存在する国家は、マルクスが想定したような純然たる資本主義的生産関係がひととおり完成したのちに成立したわけではなく、中世後期以降の変動過程のなかから生まれた統治装置や権力構造の多様な要素を引き継ぎ変容させながらできあがってきた。そして、このような統治体制や政治構造をめぐる動きが、経済的再生産のありように独特の制約をおよぼした。
  つまり、経済的再生産の構造そのものも、マルクスの想定とはかなり違っているわけだ。その複雑な全体を体系的に理解するためには、やはり資本主義の展開と国家形成の歴史を追いかけて総括するしかない。現実の歴史のなかの国家現象から「マルクスの理論が想定するであろう事柄」だけを抽出し叙述するだけでは、きわめて不十分である。
  してみれば、国家導出論争は、資本主義世界における国家を体系的に認識するための出発点を築いたにすぎないということになる。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

◆全体目次 章と節◆

序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブルッヘ(ブリュージュ)の勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望