ここでの出発点はマルクスの《資本:Das Kapital》と《政治経済学批判のための要綱:Grundrisse der Kritik der Politischen Ökonomie》を中心とする経済学批判の体系におくことにする。
それは、「資本」概念(歴史)をトータルにとらえるために、マルクスの限界がどこにあるかを確かめるため、いいかえれば、マルクスから何を引き出し、何を付け加えていくべきかの方向を見定めるためである。そこでひとまずマルクス自身が構想していた研究全体の方向性そのものを基準にすえてみよう。
ある意味では雑然索莫としたメモやノートの寄せ集めにすぎない《要綱》のなかで、マルクスは繰り返して、資本の概念体系のプランを示している。それによれば、
① 商品・貨幣(を生み出す社会的分業の仕組み)
② 生産関係としての資本
③ 国家という形態での社会関係の総括
④ 外国貿易と国際関係
⑤ 世界市場(総体としての貿易世界 die gesamte Handelswelt )
という組み立てになっている〔cf. Marx02〕。生産関係としての資本を、さらに2つのブロックにするプラン(6編プラン)も示しているが、話を単純にするために、このような5編の構想としておこう。
しかし《資本》で資本の概念を実際にきちんと組み立てて示すことができたのは、プランのうち①と②のごく一部である。商品論に無駄な饒舌をふるいすぎたというのが、私の正直な印象だ。
今なら、あの10分の1でもっと明快に説明することができるはずだ。というよりも、資本の部分以降の説明があまりにむずかしいために、商品・貨幣の説明で体力を使い切ってしまったといえるかもしれない。
さて《資本》でマルクスは、《要綱》のプランを意識して、自分の叙述の限界、つまり説明の抽象性と一面性を再三にわたって強調している。
しかし、マルクス研究――マルクスに関する系統的な研究は長期にわたってソ連を中心にしておこなわれていた――の方向性がソヴィエト国家の正当化と冷戦イデオロギーのために歪められたからであろうか、あるいは「一国史観」が各国のアカデミズムを支配していたためか、この「5編ないし6編プラン」は1970年代まではほとんど注目されなかった。
《資本の世界性》への注目は、ことにソ連・東欧では、長らくタブーだった。おそらく「一国的規模での社会主義革命」の不可能性につながる、つまりソヴィエト型国家の社会主義性の否定にただちにつながるために、封じ込められていたのだろう。世界システムとしての資本主義の組み換えなしには社会主義革命はなしとげられないという見方につながるからだ。
しかし、ソ連で経済改革が進んで世界市場競争へのミスマッチが意識され、世界市場での国家間の経済的競争で勝ち残らなければ、ソヴィエト体制が破綻するという危機感が60年代末に生まれたため、70年代になると、この問題の論争が解禁されたようだ。それだけ経済的停滞や危機の深刻さが意識されていたわけだ。
一方、西側では、企業の多国籍化や生産のグローバル化を解明するために、《資本(の支配)の世界性》が注目されるようになった。
ソヴィエト体制の確立後、ソ連共産党のイデオロギーに沿って「社会主義革命は国民国家の政治革命を起点とする体制変革、すなわち「一国革命」として完結するというドグマが支配的になった。ところが、資本主義が世界システムだということになると、社会主義革命は世界革命として達成されるほかはないという論理的帰結になる。すなわち、世界システムとしての「資本主義的生産様式が支配的な社会」を組み換える過程は世界的規模での過程ということになる。
しかしながら、資本主義的生産様式の支配が世界的規模であるにもかかわらず、世界経済が多数の国民国家へと分割されているという政治的・軍事的編成状況では、全世界同時の革命はありえないため、政治革命はさしあたって国民国家の革命、一国革命(局地的革命)となるほかはない。しかも、資本蓄積をめぐって無数の企業どうしだけでなく多数の国民国家が競争し合っている状況では、革命国家もまた資本蓄積を追求する組織となるほかはなく、その意味では国民国家は相変わらず「資本の支配」の体現者であり続けるほかはない。
この競争から脱落すれば国家は衰退没落していくほかはない。
「資本の世界性」「世界システムとしての資本主義」を理論的前提とするだけで、このような論理が成り立つ。ソビエト政権としては、とうてい受け入れられなかった。
もっとも、革命を指導したリェーニンたちは当初、ソヴィエト革命が契機となって世界経済の危機が深化して先進諸国家で連続的に革命が発生し、しだいに世界的規模での革命に移行していくことを期待していたが、それは幻に終わった。
リェーニンは死期を間近にしてこの想いをトゥロツキーに託したが、その政敵スターリンが共産党で支配権を握ると、トゥロツキーは身の危険を感じて亡命した。スターリンは、その後、一国革命論を党是として固定化し、世界的規模での革命をつうじないと社会主義への転換はありえないという発想を「トゥロツキイズム」とレッテル貼りして粛清・弾圧することになった。このような立場は、コミンテルン運動をつうじて世界各地の左翼運動・政党に伝播され、浸透していった。
スターリン主導のドグマによって、社会主義革命は一国革命によって達成可能なものとなった。共産党独裁は、このような論理を土台として正統化された。そうなると、ソ連国家の社会主義性を疑い批判する――ソ連共産党の独裁を理論的に脅かす――ことになるであろう「世界システムとしての資本主義」という見方は封殺され、禁圧されることになった。
スターリン没後に「スターリン主義批判」が始まったが、その背景には世界経済競争でソ連国家が深刻な劣位にあって存亡の危機にいたるかもしれないという危機感があった。その危機感はやがて「経済改革」「市場経済の導入」という形で展開されていくことになった。 ⇒関連記事①②
さてマルクスは、実際に書き上げられた「資本」概念の限界について、こう述べている。資本主義的生産様式が支配的な経済を最も単純な形で理解するために、総体としての貿易世界が単一の国民( eine Nation )をなしているものと考え、そこでは成熟した資本主義的生産様式があらゆる生産部門を制圧しているものと想定する、と〔cf. Marx01〕。⇒マルクスの叙述のドイツ語原文
そして、資本の生産過程の考察では、社会的総資本(社会のすべての経営体)が単一の経営(企業)からなるものと仮定して、資本蓄積と階級闘争を説明している。相互に競争し合う複数の経営は同じような経済的意思の担い手として仮定されている。
したがって、すべての資本(経営)は競争や労働者の抵抗に対してまったく同じように反応するという理論的結果が出てくる。
それも、北西部イングランドの新興産業地帯(ランカシャー、マンチェスター)の綿工業という局地的な産業構造を素材にして叙述しているのだ。
そのさい、世界貿易をコントロールすることで産業資本の原料調達と製品販売の経路を組織していたイングランド商業資本(巨大貿易商社群)の権力、また工業と貿易に貨幣資本と信用・保険を配分・供与し、それゆえまた産業資本および商業資本の資金循環を支配していたシティ金融資本の権力、については説明が与えられていない。
つまり、資本の再生産体系については説明されていない。
また、資本の流通過程の考察でも、社会的総資本の内部編成はずいぶん単純化されていて、全社会が
ⅰ 消費財の生産部門(農業と一般消費財の生産)
ⅱ 生産財の生産部門
というように、わずか2つないし3つの生産部門から成り立っていて、それぞれの部門の企業はまったく単一の動きをするもの(つまり、企業の金太郎飴)と仮定している。
流通部面に関する考察は、資本の総体としての再生産を描こうとするところで、断片的に、しかもかなり混乱した内容で登場するにすぎない。
マルクス自身はノートを書きためただけで、ほとんどは完成された叙述まではいたらず、その死後、F. エンゲルスやベーベル、カウツキーなどによって整理、刊行されたので、仕方がない。
それは、個別企業の資金の循環が「国民的規模での貨幣循環」のなかに――無前提に――織り合わされていって、金融市場が成立し、平均利潤率や利子率ができあがるという文脈に限定した説明にすぎない。
要するに《資本》では、
① 資本主義的生産様式がどこでも全面的に確立している
そのほかの生産様式の存在余地がない。
② 国境による世界市場の政治的分断がない
多数の諸国家への世界経済の政治的・軍事的分割が存在しない。
というきわめて単純な世界市場で、しかもごく少数の企業と生産部門によって展開されるこれまた非常に単純な資本蓄積だけが説明されているわけだ。
マルクスの《資本》をめぐる学説史を総括したベン・ファインとローレンス・ハリスは、このような資本の規定を「純粋な資本主義的生産様式 the pure mode of capitalist production」の論理と呼んでいる〔cf. Fine / Harris〕。
私なりの表現をすれば「箱庭の資本主義」あるいは「純粋培養された資本主義」ということになろうか。
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