ギリシア語翻訳係の修道僧ヴェナンツォは、夜の墓地で、死の直前のアデルモの懺悔の言葉をたまたま聞いてしまったことから、文書館に幻の名著があることを知った。彼もまた、偉大な古代の学者の著書をどうしても読みたいという欲望にとらわれた。
で、ベレンガーリオを(アデルモとの同性愛を仄めかして)脅迫して、この著書のありかと書庫への秘密の通路を白状させた。そして、真夜中に写字室に入り、書庫に忍び込んでアリストテレースの「詩論」を持ち出し、閲覧していた。
ところで、羊皮紙は研磨圧抵した大判のペイジ(長辺は50cmくらいある)であるうえに表面が滑らかだったから、人びとは指を唇や舌で湿らせてペイジをめくるしかなかった。
ところが、この書の本文ペイジの小口側には砒素が浸み込ませてあった。そのため、ヴェナンツォは読み進むうちに重い砒素中毒にかかり、ある夜、写字室で死んでしまった。
その夜、おりしもベレンガーリオがヴェナンツォと会って交渉(秘密厳守を要求)するために、この部屋に忍び込んできた。彼は床に倒れて死んでいるヴェナンツォを見て驚愕してしまった。真夜中に文書館で僧が不審死すれば、厳格な捜査がおこなわれ、この間の事件の経緯がばれてしまうことを、ベレンガーリオは恐れた。
そのため、彼は文書館からヴェナンツォの死体を運び出して、屠畜精肉所にある、豚の血(腸詰をつくるために溜めてあった)で満たされた大きな甕のなかに逆さまに沈めてしまった。異様な細工を施したのは、事件の真相をはぐらかすための工作だった。ウイリアムの目を逸らすための。
けれども、写本室のヴェナンツォの机上にあった「詩論」を別の場所に移す暇はなかった。翌日、事件調査のためにウィリアムとアドゥソが写本室にやって来たが、ふとした隙に彼らの目を盗んで、ベレンガーリオはこの書籍を机の下に隠した。
その夜、ベレンガーリオは写本室に入り込み、書籍を取り出し、秘密の通路を通って、書庫の元の場所に戻そうとした。ところが、写字室にはウィリアムとアドゥソが入り込んで調査を始めた。そのとき、書庫に続く扉が開きマラキーアが現れた。マラキーアはウィリアムと短い立ち話ののち出て行った。
ベレンガーリオは、マラキーアとウィリアムが話をしている隙に物陰に潜みんでいたが、マラキーアがいなくなると、小斧を投げてウィリアムとアドゥソの注意を逸らして、ヴェナンツォの机の上から「詩論」を持ち出した(そのさい、ウィリアムの眼鏡を盗み取った)。
館の外に逃げ出したベレンガーリオは、書籍を施薬室の棚のなかに隠した。
さて、「詩論」を汗ばんだ素手で抱えていたベレンガーリオは砒素中毒症状に陥ってしまった。翌朝、皮膚は炎症を起こし、呼吸と心拍に異常が出始めた。そこで、沐浴室に行って浴槽に湯を満たし、薬草(ハーブ)を入れて入浴した。肥満体で皮膚や内臓の過敏症のベレンガーリオは、これまでも、ときおり薬湯入浴して、痙攣や炎症を鎮めていた。
ところが、砒素の毒は中枢神経や内臓に行き渡っていた。浴槽に身を沈めた途端、ひどい発作と痙攣が襲いかかり、彼は沈み――心臓が止まるのと溺れて窒息死するのと、どちらが早かったか?――死亡した。
彼の死体は、ベレンガーリオの事件への関わりを推察したウィリアムが発見した。彼は、薬草係のセヴェリーヌスに死体の調査を依頼した。彼は、ベレンガーリオの衣服からウィリアムの眼鏡を見つけ出した。