ウィリアムとアドゥソが、ベネディクト派の修道院に赴いたのは、その前の年だった。
ウィリアム自身は、アヴィニョン教皇には鋭く対立するが、しかし、神学論争や教会改革とは別の次元に属すはずの政治的な権力闘争(教皇対皇帝)に修道会が踏み込むことには批判的だった。しかし、アヴィニョン教皇庁からの攻撃と迫害にさらされているフランチェスコ派・異端派の窮地を救うためには、やむをえないと割り切って、このたびの修道院への訪問の任務を引き受けたのだった。
ところでこの物語では、ウィリアムのファミリーネイムがバスカーヴィルということ(物語の設定上、そこの修道院に属すという意味)、そしてアドゥソという弟子(助手としてのワトスン君)を引き連れていること、さらに、晩年の(死期を悟った)アドゥソが、50年以上前を回想するという形でこの物語を語る(語り手としてのワトスン)ということで、名探偵シャーロック・ホームズを連想するようになっている。
ということで、多くの評論が指摘するように、この物語は修道院で続発する僧の怪死事件の真相を解明するクライムノヴェルになっている。
ホームズの探偵物語では、バスカーヴィルの魔犬は、そのまき散らす「死の恐怖」によって人びとを連続殺人の真相への接近から遠ざけた。同じように、原作と映画では、ベネディクト派の長老がアリストテレースの「詩論」の言説から人びとを遠ざける陰謀が解明されていく。
けれども私が見るに、原作者ウンベルト・エーコは、この事件の背景にあった神学論争における各派の立場の偏狭さとか権力装置としての修道院の仕組み、民衆の支配・抑圧装置としての宗教や教会組織、そして何よりも人びとの認識と行動を拘束する信仰(思想)の魔力について、深い懐疑を提起しているように見える。
この懐疑を、ウィリアムとアドゥソとの子弟の対話(対論:ディアレクティーク)という形で表現しているようだ。
さて、ウィリアムの到着の知らせを聞いて、この修道院の幹部たちは今後の対策を話し合った。そのメンバーは、権力階梯の上から順に、修道院長アッボーネ、長老ホルヘ・デ・ブルゴス、文書館長マラキーアの3人。
アデルモの怪死事件をウィリアムに伝えるかどうか、という院長の設問に、ホルヘは言下に「必要なし」との断定を下す。
だが、院長は、4日後に教皇の特別使節としての枢機卿一行が来訪することを考えると、かつて敏腕の異端審問官だったウィリアムの力を借りて、事件を解明しておいた方が得策だと考えていた。が、ホルヘには反論しなかった。修道院の内部でも権力闘争があるのだ。