●ウィリアム・オヴ・バスカーヴィル(フランチェスコ派の学究修道士で、イングランド系の経験論的懐疑論派に属す): ショーン・コネリー
●アドゥソ・ダ・メルク(皇帝ルートヴィヒの家臣の貴族の末っ子で、メルク修道院に所属する見習い修道士): クリスチャン・スレイター…ナレイションと狂言回しを兼ねる。
●アッボーネ修道院長(英語版ではアボット): マイケル・ランズデイル…『ジャッカルの日』ではルベール刑事役だった。
●マラキーア(文書館長): フォルカー・プレヒテル
●レミージョ(厨房係の助修士): ヘルムート・クヴァルティンガー
●サルヴァトーレ(厨房係の助手で雑用係): ロン・パールマン
●ベルナール・ギュイ(強硬派の異端審問官でウィリアムの論敵): マーレイ・エイブラム…何と、「アマデウス」のサリエーリ役!だった。
映画の物語は、ウィリアムとアドゥソが、修道院で連続する怪死事件の真相と原因を探る過程を縦糸にしている。だが、その背景では、14世紀のイタリア――南フランスからイタリアを経て南ドイツまで――におけるローマ教皇と修道会諸派、さらにはイタリア支配をもくろむ神聖ローマ皇帝(ドイツ王)などのあいだの神学論争と権力闘争が展開している。
ここでは、こうした歴史の奥行きを主題にしたいので、はじめに連続怪死事件の経緯と真相を手短に説明しておこうと思う。というのも、この映画を一度観ただけでは、物語の筋道がよくわからない人も多かっただろうと思うからだ。かく言う私も、筋道の理解にかなり手間取った。
事件の最奥には、この修道院の文書館に所蔵されている、アリストテレースが著した『詩論 第2篇』を隠匿しようとする文書館長の策謀がある。
この著書でアリストテレースは、笑いを人間の自然でまた倫理や徳性にかなった営為であると記述しているらしい。ところが、この修道院を支配してきたベネディクト派(の守旧派)は、禁欲的な戒律を守るために、この著書を秘匿し続けようとしてきた。けれども、批判精神に富んだ若手の修道僧や学究たちからは、幻の名著として開示が熱望されている。
この僧院で細密画絵師をしている美青年修道士アデルモは、批判精神と好奇心が旺盛だった。彼の挿画には、諧謔に満ちた痛烈な皮肉や権威への懐疑が込められていた。
この美僧にかねてから想いを寄せる同性愛嗜好の僧で、文書館の副司書であるベレンガーリオは、アデルモに一夜の同衾を条件に、アリストテレースの名著を読めるように計らおうと誘いをかけた。
アデルモは好奇心に負けて、ついにベレンガーリオの要求を呑み、ギリシア語の名著を手にすることができた。けれども、同性愛(教会が最も蔑むべき罪業としていた)に対する罪悪感に駆られて、塔から身を投げて自殺してしまった。
院長は、ウィリアムにこの怪死事件の真相の調査を依頼した。