だが、宗教や信仰が人びとの生活に浸透し、人びとの精神生活に大きな影響力をもつためには、人びとの実際の生活のありかたをひとまず前提し、そこから出発して神学的真理を構築しなければ、およそ人間生活に無縁な、非人間的な戒律や価値観が独り歩きするだけだ。現にローマ教会の運動の歴史は、厳格な神学者たちの思想とは別の次元のもので、民衆生活への浸透の歴史でもある。
たとえば、クリスマス(キリストの降誕日)は、聖書の当該部分が書かれた時代と場所の暦法を無視して、ゲルマン族の年中行事に合わせた祭事にしたものだ。
教会は、当初、ゲルマン人たちの自然信仰を偶像崇拝や異端崇拝として排撃してきたが、それではゲルマン族へのキリスト教の普及浸透が進まなかった。
ところが、ゲルマン族は「冬至」を境として、太陽の日差しと日照時間が復活していくことを大いに祝う祭りを営んできた。冬至の数日後にゲルマン族は「太陽の復活」を祝う祭りをしていたが、「神の子」の誕生日であるクリスマスをこれに合わせたのだ。教会は、このゲルマンの行事を取り込むことで、ゲルマンの自然信仰をキリスト教のなかに取り込み、教義や教会行事を普及させようとしたのだ。
キリストの誕生日でさえ、融通無碍に修正して信者を増やしたのだ。
イースターについても、同様だという。つまり、さまざまな花が咲き始め、新緑が芽生え成長していく時季を祝うゲルマン族の行事を、キリスト復活の日々に強引に結びつけたのだ。
つまりは、ヨーロッパへのキリスト教の浸透は、異端信仰を排撃するというよりも、むしろ絶えず教会の祭事や教義に取り込んでいく過程だったのだ。聖列も同様で、異教徒的信仰や慣習、迷信を「聖人の奇蹟」として聖人リストを拡大するものだった。
宗教とは、しょせんそういうもので、民衆の生活のなかに根を張るという意味では、民衆の喜びや苦悩をともに分かち合うというところが素晴らしい点なのだ。ローマカトリック(カトリックには正統な権威という意味がある)よりも、一般に「厳格だ」というプロテスタント派でも、クリスマスやイースターの日取りは同じだ。
本来「書物」とか「書かれた説話」という意味のバイブルも、歴史家から見れば、要するに古代からの民衆の説話の集積であって、それらを一貫して統合するような文脈(神の意思なるもの)はない史料でしかない。どんなに原理主義を振りかざしてみても、宗教それ自身の存在根拠からみて、人びとの生活に根を張らなければ、しょせん空論にすぎない。
宗教が民衆の生活に根差し文化として定着するというとは、そういうことで、歴史とはそういうものだ。神学者やファンダメンタリストが小賢しく「後知恵」的に、教義や論理を純粋化しようと試みても、人類史の前にはしょせん児戯にすぎない。つまらない純化を試みると無慈悲な争いや殺戮・破壊の原因をつくり、宗教は人びとから忌み嫌われ、忘れ去られていくことになる。