補章―2 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
この章の目次
11世紀のノルマン族の征服活動の結果、イングランドのすべての土地は部族の王、ノルマンディ家の軍事的支配のもとに置かれた。フランク王国の有力君侯でもあるノルマンディ公はイングランド王位を得ると、従来のサクソン族貴族に代えてノルマン族の貴族――フランスに所領を保有する――を王直属の授封臣 baronとして配置した。
ノルマン人王とバロンたちはイングランドを新たな支配秩序に組み込み、さらにはスコットランドとウェイルズの内部へと支配の辺境を拡大しながらも、大陸における自分たちの領地と権利を維持しようとした。フランス北西部の有力貴族のうち有力領主たちは、イングランド王を兼務するノルマンディ公の家臣としてイングランドの宮廷と所領に常駐するようになった。
イングランド海峡の両側が同一の君侯権力によって統治されたため、北海から大西洋の沿岸に位置するネーデルランド=フランドル、ノルマンディ、ブルターニュ、ギュイエンヌ、イベリア北部(カンターブリカ)におよぶ地域での交易活動や移住が発展し、ひとまとまりの貿易圏に融合していく地政学的環境ができあがった〔cf. Morton〕。
ノルマンディ公は、フランスでも勢力圏にある伯や下級領主の軍事的・行政的統合をいち早く進めて、強大な君侯権力を打ち立てた。そして、臣従を要求するパリの王権を無視した。ノルマンディ公位(支配地)とイングランド王位はその後、12世紀半ばにアンジュ―伯プランタジネット家に継承された。
イングランドのノルマンディ=アンジュー王権は、毎年のように西フランクのノルマンディ公領とアンジュー伯領に遠征し駐留したが、その軍事力は、当初、イングランド王に対する直属授封臣バロンの軍役奉仕にもとづいていた。
バロンたちは授封にともなう義務として、王の大陸遠征――裁判や地方集会などをおこなう西フランク領地の巡行と行軍――に参加した。彼らは、年間60日間の軍役奉仕をおこなう慣習的義務があったが、この軍役日数では、ブリテン島内での戦役――スコットランドやウェイルズ山岳部族の制圧――と大陸の両方での軍事活動にはまったく不十分だった。ゆえに、しだいに大陸遠征では自由契約の傭兵を募ったり、王直属の軍務家臣を増員したりするようになった〔cf. Howard〕。
そのための資金は、軍役を免除するのと引き換えに傭兵を雇うための金を支払わせること(軍役免除税 scutage )によってまかなった。
一方、ブリテン島内の戦役には、武装した領主貴族のほか、軍役令によって武装能力ある地方住民を歩兵として召集した。
したがってまた、王やバロンの統治政策が自分たちの権利を脅かすものとして反対する住民は、平穏な訴願が拒否されると、しばしば地方単位の武装集団として蜂起することになった。とはいえ、こうした反乱を慰撫・征圧するコストは小さくて済んだようだ。
長弓 long bow : from Howard, op.cit.
カタパルト catapult : from ibid.
それにしても、ヨーロッパ大陸から海洋で隔てられているという地理的環境――海峡という自然要害――のおかげで、ノルマン王権はイングランドでは、大陸にいるほかの有力君侯・領主による軍事的・政治的な介入を受けることなく、統治体制と貴族への統制を打ち立てることができた。経済的資源が限られた辺境王国であったにもかかわらず、大陸――地続きで君侯領主たちが隣接している――と比べて著しく小さな軍備で王の権威と王国の独立を維持することができた。
王権は、ウェイルズなど辺境の征圧のために授封貴族の重装騎士隊では不十分であることが明らかになると、長弓隊を中心とする歩兵部隊を編成した。訓練された歩兵隊を主力とする兵力の編成は、旧来の騎士中心の戦闘能力に優越した。
長弓隊の矢は、遠方または動きの速い敵を射撃して、騎士のかたびらを射抜くことができたという〔cf. Morton〕。またカタパルト隊は、焼夷弾を投擲して敵の隊列を攪乱し、騎兵に攻撃の余地を与える役割を担った。
重武装の騎士は、こうした軍隊編成のなかの一部門として従属的な役割を割り当てられることになり、かつてのような作戦単位としての独立性を失った。イングランド王は、この新たな軍隊の編成と戦術を大陸に持ち込んだ。というわけで、領主層の軍事的側面における騎士としての役割は大きく後退し、むしろ所領の経済的利用に利害関心を向けるようになっていく。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成