補章―2 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
       ――中世から近代

この章の目次

1 封建騎士と領主制支配

ⅰ フランク王国と騎士制度

ⅱ 領主制と封建法観念

ⅲ 西フランクの王権と軍制

2 イタリアの都市経済と傭兵

3 中欧・東欧の軍制と領主制

ⅰ 多数の領邦の分立

ⅱ 都市建設と東方植民

4 ノルマン征服王朝とイングランド

5 新たな軍事力と傭兵制

ⅰ 百年戦争と「封建騎士」の没落

ⅱ 王権と傭兵制

ⅲ スイス、オーストリアの傭兵

6 中世晩期から近世の軍備と財政

7 国家形成と軍事組織

ⅰ 断続する戦乱

ⅱ 近代国家制度への歩み

ⅲ 傭兵たちの戦争

8 ヨーロッパの軍事革命

ⅰ 歩兵組織と築城戦術

ⅱ 膨張する戦費・軍事費

9 艦隊と海洋権力

ⅰ 地中海

ⅱ 北西ヨーロッパ

ⅲ 新型艦隊と商業資本

10 軍事と経済との内的結合

7 国家形成と軍事組織

  16世紀になっても領地の相続権をめぐる諸侯の戦争――古めかしい外観の戦争――は続いた。というよりも、そうした封建法上の理由を見つけては、君侯たちは豊かな地方を自らの領域支配に取り込もうとする戦争を企てた。それはまさに国家形成やヨーロッパ諸国家体系での優位をめぐる戦争だった。

ⅰ 断続する戦乱

  ヨーロッパ的規模で主要な争点の1つは、イタリアに対するエスパーニャのハプスブルク王朝とフランス王家との支配権の正統性をめぐるものであった。
  15世紀末、フランス王シャルル8世は、アラゴン家に対抗してナーポリ王位を要求するアンジュー家の主張を支持してイタリアに遠征し、彼の後継者オルレアン家のルイ12世は、ミラーノ公国の支配圏を神聖ローマ皇帝から奪還するために戦争を続行した。
  1515年にフランス王位を継いだフランソワ1世も、1516年にエスパーニャ王位を継いだカール5世もイタリア戦争を相続し、さらに、ブルゴーニュの支配をめぐって争うことになっった。

  ハプスブルク家門はオーストリア王位に加えて神聖ローマ皇帝位とエスパーニャ王位を得たことから、ピレネー以西、フランドル、ラインラント、ブルゴーニュ、北イタリア、地中海の諸島に支配地を広げ、こうしてフランスを取り囲むことになったため、フランス王権との優位争いが絶え間なく続くことになったのだ。
  戦争はネーデルラントでも発生し、ドイツ・中央ヨーロッパでは宗教上の教義の争いと結びついて農民戦争が勃発、さらには諸侯のあいだの戦乱が続いた。
  ハプスブルク家は、これらの戦線のすべてにからんでいた。だが、戦争は王室財政にきわめて過大な重圧をかけていた。
  1559年のカトー・カンブレジ講和の前後にフランス王家とハプスブルク家のイタリア戦線は手詰まりになって終結した。このとき両王家の財政はともに破産し、それぞれの王室と結びついていた有力商人たちも経営破綻に引きずり込まれた。
  ハプスブルク家はスペインとオーストリアの統治を2つの王権に分割せざるをえなくなり、フランスでは王権の権威が著しく衰退し、王権運営をめぐって有力諸侯の対立が宗派紛争とからんで戦乱に逆戻りした――ユグノー戦争。

ⅱ 近代国家制度への歩み

  こうして、有力君侯たちによる国家形成が進行したり頓挫したりする。その結果いずれにせよ、過去の王権とは質的に異なる政治的・軍事的構造ができ上がることになった。
  特定の地理的範囲=領土にわたって至高権をもつ君主によって統治された状態としての国家、その支配装置としての国家が成立していく。
  君主たちは、中世的・封建法的観念では自分より上位とされるあらゆる権威から独立し、自らの領土全域に命令を施行する権力を主張していく。王権の至上性は、法観念(イデオロギー)的には、ローマ法原理の導入によって補強された。
  いったん君主の領域的支配圏ができあがると、その統治権は不可分とされ、王の人格性から分離され、相続や王室家系の断絶によっては分割されえない「主権 Souveränität 」として位置づけられた。中世には存在しなかった――王室の家政統治とは次元を異にする――「国家」という観念が誕生するのだ。
  国家領域の内部では君主は、こうした支配を阻害する地方的領主権力や都市の自治権を統制し、ローマ教会の権威を従属させるか破壊して、それらを君主権力(王権)の統治装置に組み替えていくことになる。
  それにともなって、軍事力の行使としての戦争の主要形態は、主権国家間の戦争、主権をもつ君主(王権)によって遂行される戦役となった。戦争という事業の「国営化」が始まった。だが、始まったばかりの国営化は、下請け業者として非常に多様な、統制の取れない要素を抱え込んでいた。

  領域全体にわたる統治権=主権を追求する君侯による国家形成の結果生まれた領土の地理的範囲はさまざまだった。17世紀頃、イングランド――ブリテン王国ではない――やフランスの王権は、だいたい将来の「国民」の規模に近い領域に統治をおよぼした。
  だが、ドイツ・中欧では多数の領邦国家が分立割拠していて、神聖ローマ帝国という観念に制約されながら、戦乱のたびに有力王権の周囲に弱小君侯が同盟しては争い、やがて数を減らしながら規模のより大きな国家に統合されていった。けれども多数の弱小領邦がひしめき合うという状況は克服されなかった。
  北欧ではスウェーデンが独立の王国を形成し始め、東欧ではプロイセンが領邦群の新たな統合の中心になろうとしていた。
  イベリアでは、カスティーリャ王権がいまだ自立的な政治体である諸王国――アラゴン=カタルーニャやレオン、アンダールシーアなど――をエスパーニャ王国へと名目的に併合したが、軍事組織や行財政装置の統合はできなかった。というよりも、王や王室官僚たちには、そういう思想や考えは生まれなかった。
  だが、こうした諸国家の形成とともに、「勢力均衡」という思想がヨーロッパ諸国家の支配者の判断と行動を大きく制約するようになったため、1地方での戦争はヨーロッパ全体を巻き込んだ権力闘争――諸国家の同盟陣営のあいだの闘争――につながるようになってしまった。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

◆全体目次 章と節◆

序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブリュージュの勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望