補章―2 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
この章の目次
中世中期までは、君侯は戦争にさいして直属家臣団や下位の領主たちに対して軍役奉仕を要求できたが、その見返りとして土地や戦利品などの俸給を与えなければならなかった。しかし14世紀までには、当時の人口や開墾技術では、封土として利用できる土地は限界に達してしまった。
家臣の義務的な勤務日数を超える軍役奉仕への見返りは、土地によるものから貨幣または貴金属による俸給の支払いによって置き換えられていった。農業=食糧生産能力の全般的増大を基礎に、商工業と貨幣経済、ことに遠距離通商が成長してきていたのだ。
そして、槍や剣などの武器や甲冑はきわめて高価な手工業製品だった。のちにはここに銃や大砲が加わる。馬や馬具もしかりだった。
君侯(都市国家の君主も含む)や有力領主層が戦役に臨んで軍を組織するためには、商品としての武器や馬、兵糧を調達するために貨幣または貴金属での収入が不可欠だった。こうして、軍事組織は早くから商品貨幣経済と結びつき、また軍事組織の指導者や兵員たちの行動スタイルは商品貨幣経済に順応したものになっていった。
君侯や有力都市の支配層が、その支配圏域の政治的・軍事的独立を維持するために支払う代償が著しく大きくなってしまった。専門の歩兵や銃、大砲の列、要塞の造営などにかかる費用はとてつもなく高価になった。
君侯は自らの支配圏を守り拡大するためにも、資金を獲得しなければならなくなった。君侯の権力は、資金を獲得できるかぎりにおいて維持・強化されえたのだ。
14世紀のはじめまでに、イングランド王権とフランス王権は、軍の兵力のほとんどを実質的に貨幣俸給で雇った傭兵で組織するようになっていた。これらの王権は、領主貴族の軍役奉仕を賦課金の支払いと引き換えに免除するようになっていたので、その金を傭兵徴募に充てた。
しかし、王室に集まった資金のより大きな部分は、都市や特権的商人団体が差し出す賦課金や特別税、援助金、そして商人が融通する借款からなっていた。つまるところ遠距離交易と金融による利潤のなかから、王の戦費の大半がまかなわれたのだ。
だが、王室財政にとっては、歳入の数年分以上にもなる借款融資の返済はなかなかむずかしく、「代物返済」のために王はさまざまな特権を設定しては商人に譲り渡した。あるいは新たな課税手段=税科目の創出を試みた。
それはまた、王の諮問機関――財政収入の増大に関して助言し課税=納税に同意する政治組織――としての身分制評議会や宮廷顧問団の役割が重みを増すことを意味した。身分評議会のなかでは都市(富裕商人)代表が圧倒的な影響力をもっていたし、顧問団のメンバーのなかで有力商人出身者が多数派を占めるようになっていた。
あるいは王権によって保護された特権的な商人団体や都市が、巨額の援助金を差し出すのと引き換えに、冒険的な貿易事業・航海事業を展開することになった。冒険的事業が成功すれば、王権は利益の分配に参加した。こうして王室は、商業利潤の分配構造に組み込まれ、海外航路の発見や植民地開拓もまたこの延長線上で生じたできごとだった。
君侯たちは、金のかかる戦役を遂行するためには、自らの領土内部の商工業や資源に対する支配・統制を強めなければならなくなった。それまで王の支配権がおよぶ範囲――つまり王国の版図――は多分に名目的なものにすぎなかったが、名目上の支配がおよんでいる地域の統治機構をより強化し、そこから税や賦課金を徴収する能力を高めなければならなくなった。
有力な商人層から融資を受ける信用も、君侯が経済的に豊かな地域を効果的に支配し、税や賦課金を取りたてる力があればこその恩恵だったのだ。
このような財政的能力を高めた君侯は、より弱小な相手に戦争を仕かけて破滅に追い込むか、服属を要求することができた。君侯領主間の力関係は、それぞれの経済的=財政的および軍事的力量によって決定されるようになった。
君侯領主間の封建法的な臣従関係は、形式としては生き続けたが、軍事的・財政的内容においては決定的に転換していた。しかも、経済的基層では、所領経営は最終的に貨幣収入を目的とする地主的経営か領主直営農場に転換していた。
戦争をつうじて、ヨーロッパ各地で政治的・軍事的権力の集中が進んでいった。相対抗する諸侯のなかから、独特の権力と権限をもつ王権が、政治的・軍事的・財政的秩序の中核として出現してきた。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成