第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第4節 バルト海貿易とハンザ都市同盟
この節の目次
北海=バルト海貿易におけるハンザの優越とハンザ内部でのリューベックの最優位は、幾多の闘争を経て確立されたものだった。この優越や優位とは、貿易圏全域の社会的分業体系のなかでほかの諸地方や都市に従属的な地位を割り当てることによって成り立つものだった。当然のことながら、進出先=在地の都市や君侯領主たちは抵抗・反発することになる。ハンザとしては、再生産の要を押さえているという強み、すなわち経済的権力を振りかざすか、豊かな富に裏打ちされた軍事力、敵の敵を味方につける外交交渉力を見せつけて、要求を押し通すことになる。
こうしたあからさまな「力の対決」にさいしては、商人組合の同盟よりも自立的な政治的=軍事的単位としての都市団体のあいだの同盟の方が、闘争への財政や軍事的資源の動員においてより大きな能力を発揮する。それゆえまた、都市同盟としてのハンザへの移行がもたらされることになった。
なお、ここからは「都市同盟」という語は本来の意味で用いることになる。
1356年、リューベックでハンザ総会が催され、各都市から代表が参集して都市同盟の創設を取り決めた。これによって、すでに事実上できあがっていた都市ハンザに法的な制度的外皮が与えられた。このハンザ総会で取り扱われたのは、フランデルン問題であった。
フランデルンはヨーロッパの貿易と製造業の中心地であり、域内の商業資本と都市は独自の権力構造を築き上げ、強力な領邦君侯(フランデルン伯)によって援護されていた。しかも、この地には地中海方面や内陸ドイツ諸都市の商人も入り込み、通商利害が錯綜していた。ハンザ商人はフランデルン伯とブリュージュ市当局から幅広い通商特権を与えられていた。だが、経済的実力を蓄えつつあったフランデルン諸都市と企業家層は、ハンザの特権を制限しようと企図して関税額の上乗せなどを要求し、ハンザ商人・商館と対立を深めていた〔cf. Rörig〕。
なかでもブリュージュの商人組合は羊毛織布の輸出を自らの手でおこなおうとして、市域の取引きからハンザ同盟を追い出そうとしたが、これまた穀物封鎖を受けて屈服するしかなかった。
この対立のなかで、ハンザ商人は結束したブロックとして行動する必要に迫られた。ハンザ総会は、リューベック市を筆頭とする都市代表団をブリュージュに派遣して交渉にあてることを決議した。そこでは、個々の商人集団およびブリュージュ商館の独立性は失われ、都市同盟(の代表)の統制に服することになった。それ以降、ロンドン、ノヴゴロド、ベルゲンの商館も都市ハンザの統制のもとに置かれるようになった〔cf. Rörig〕。こうして、商人ハンザから都市ハンザへの移行が決定的に完了した。この移行には、都市ハンザを指導するリューベックの最優位の確保がともなっていた。
しかし、フランデルン諸都市との対立は容易に解決しなかった。ハンザは一再ならず商館(借家だった)をブリュージュから移転させ、妥協を引き出してはまた戻るという駆け引きを繰り返した。1358年には、フランデルンによるハンザ船舶保護義務――百年戦争のあおりだった――の不履行や不当な関税徴収を不満として、ハンザ諸都市は結束してフランデルンとの貿易停止(経済封鎖)を行なった。おりしも凶作に見舞われ食糧危機に迫られていたフランデルン諸都市は、ハンザによる穀物禁輸の威圧に屈し、ハンザの通商特権を再確認し、小売の権利まで認めることになった。
だが、その後も対立は蒸し返された。ハンザは商館の移転と復帰を繰り返し、1360年と88年にも貿易停止措置を講じた。こうしてハンザの特権と優位は持続することになった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成