第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第4節 バルト海貿易とハンザ都市同盟
この節の目次
レーリッヒによれば、ハンザの趨勢の転換点は、シュトラールズント講和(1370年)にあったという。そのときリューベックのバルト海覇権、ハンザの権力は絶頂期にあったが、長い下り坂への入り口にさしかかっていたとレーリッヒは言うのだ。この頃すでにリューベックは慎重で保守的、消極的な政策を打ち出し始めた。手に入れたものをとにかく守るという姿勢が徐々に明白になっていったが、このような姿勢の転換を導くようなハンザの優位に対して脅威となる兆候はいくつかあったということだ〔cf. Rörig〕。
主な脅威の1つ目は、14世紀初頭、イングランド産毛織物(羊毛織布)のフランデルンへの輸出が目立って増大し始めたことだった〔cf. Rörig〕。この貿易にはハンザも参加して、イングランドの牧羊業と羊毛工業をフランデルンに従属させる仕組みを固定化したのだが、彼らの競争相手にはイタリア商人がいて、彼らはハンザとはけた違いに大規模な資金・資産を動員して、イングランドの原毛と毛織物の貿易を組織化していった。一方、ハンザは小口の羊毛商人が多数ひしめき合うという構図だった。
しかも、ロンドンの冒険商人たちが組合 Merchant Adventurers を結成してイングランド王権に接近、結託して毛織物貿易での足場を築いていった。この動きは加速し、やがて、ロンドン商人がイングランド毛織物製造業に対する支配権を独占し、域外の商業資本への従属を断ち切ってしまうはずであった。イングランド王権は、域外商人よりも域内商人を優遇するようになっていった。それは、在地商人の利潤の源泉となっている製造業を保護育成することにつながった。
2つ目は、ホラント人のバルト海航行だった。15世紀になると、ズント海峡を通るホラント人の航海・海運はヴェンデ諸都市とバルト海東部の諸都市の経済的利害の隙間にくさびを打ち込み、ハンザの一体性を弱めていくことになった。ポンメルン以東の諸都市、ダンツィヒやケーニヒスベルクは、穀物や木材など内陸後背地――つまりポーランド――の特産物を輸出するにさいして、リューベックなどヴェンデ諸都市による海運に全面的に依存していたが、何とかして自分たちの手で西ヨーロッパ(ネーデルラントやイングランド)に販売しようと躍起になっていた。しかし、これらの都市の船舶と海運は未発達で幼弱だった。そのため、ネーデルラント商人・海運業者が提供する安価な積荷船倉サーヴィスに飛びついた〔cf. Rörig〕。
当然のことながら、仲介貿易=海運を通商優位の基礎としていたヴェンデ地方の諸都市にとって、ネーデルラントが強力な競争相手となったことは、壊滅的ともいえる打撃を与えた。ヴェンデ諸都市はハンザの政策をつうじてホラント人のバルト海通航を阻害し、ハンザ諸都市での取引を妨害しようとした。しかし、ヴェンデ諸都市の影響力は目に見えて衰弱していった。ハンザ同盟の内部で、バルト海東部の諸都市とヴェンデ諸都市とのあいだの利害の対立は深刻になっていった。
おりしも、ネーデルラントはデンマールク王権と同盟関係を取り結び、その船舶はユートランド半島の周囲をデンマールクの妨害や脅威を受けることなく回航することができた。それに対して、ヴェンデ諸都市の海運に対するデンマールク王権の脅威は著しく高まった。14世紀末にはデンマールクはカルマルの盟約によって、スカンディナヴィア全域からズント海峡、ユートランドおよぶ地域での政治的・軍事的影響力を決定的に高めていた。しかも、この王権はいまや、リューベックなどの諸都市の貿易封鎖に対しては、ネーデルラント商人による補給に頼ることができた。そのうえ、東部諸都市とヴェンデ地方諸都市とのあいだの対立=分裂によって、ハンザの一体的なデンマールク包囲網はすでに綻び始めていた。
このような環境変化のなかで、リューベックを支配する寡頭門閥層は、いっそう閉鎖性を強め、保守的になっていった。かつては自らの経済的優位を生み出した冒険的商業活動や新規開拓事業に取り組むことにますます消極的になり、すでに獲得している権益と生活様式の維持や金利生活への逃避、あるいは既存の社会的カーストの固定化によって特権を保持しようとした。
ところが、それは、門閥層の圧倒的優位を掘り崩す方向に作用した。というのは、有力市民層は、市内の個々人がより多くの利益を求めて市民仲間のあいだの既存の利害関係のバランスを崩すことがないように、自己規制を強めていっただけでなく、都市秩序の維持のために市内の手工業者の要求に譲歩するようになっていった。職人階級は待遇の改善を求めるだけでなく、ほかの都市の手工業製品の市域内持ちこみに反対した。これは、ほかの諸都市にも共通の傾向だった。
しかし、各都市が既存の通商利害や権益の枠組みに固執しようとする態度は、各都市の個別利害を最優先するという行動様式、つまり都市同盟の利害を後回しにする態度に結びつかざるをえなかった。すでに、明白な利害の不整合に直面していた同盟には修復不可能な分裂が生じた。
こうして、ハンザを取り巻く政治的・軍事的環境も変動していった。周辺地域では君侯・領主・農民・都市などの諸階級が互いに対立し、新たな政治関係への転換が始まった。あちこちで領域国家がより強固な統治装置をともなって出現し始めた。デンマールク王国、イングランド王国、ヴァロワ家とブルゴーニュ家によって再編成されたネーデルラントが、域内の都市と商人の利害を優先するようになった。とりわけイングランド土着の貿易商人は、王権との密接な利害共同を組織して、イングランドでのハンザ商人の特権を掘り崩そうとしていた。フランデルンでは諸都市のあいだの力関係が変わり、ハンザの拠点となっていたブリュージュは衰退していき、アントウェルペンが上昇していった。
しかも、いましがた述べたように、ネーデルラントの商人が、新たな造船技術・航海技術を基礎とした安価な海上輸送サーヴィスを武器にバルト海に進出してきた。こんどは、ネーデルラント商人がバルト海やデンマールク海峡の君侯・領主たちを支配する番になった。
ハンザがラインラントおよび中部ヨーロッパ諸都市に押し付けていた差別的待遇は、それらの都市(その統治団体)が成長するのにともない、拒否されるようになっていった。逆に、ヨーロッパ的規模での金融や信用を操作できる商業技術と経営組織網を備えた諸都市、とりわけニュルンベルクの商人たちがドイツ全体で活動し、ハンザ同盟の勢力範囲に入り込んできた。続いてアウクスブルクの巨大な金融商人が、王室金融をつうじて強大な諸王権と財政的に結びつきながら、ドイツは言うに及ばず、ヨーロッパ全域に影響力をおよぼすようになっていった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成