第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第4節 バルト海貿易とハンザ都市同盟
この節の目次
その結果、軍事的・政治的・経済的な優越を背景として、ハンザは、バルト海沿岸の王権や君侯・領主に対して通商上のさまざまな特権を認めさせ、拡大させていくことになった。リューベックは、各地の王権・君侯に対して商業上および法的特権を獲得し、独特の権力装置を築き上げ、貿易での優位とハンザ商人の活動の自由を防護した。たとえば、ロンドンにはシュタールホーフ Stahlhof 、ノルウェイのベルゲンにはドイチェブリュッケ Deutsche Brücke と呼ばれる広壮な邸宅を所有し、そのなかには商館が置かれていた。ブリュージュとノヴゴロドにも商館があった。
イングランドの首都にはロンドン橋のそばに、《Stahlhof》があって、・・・・・・自家用の河岸と倉庫を持っていた。そこでは、ハンザ商人は大部分の税金を免除されていた。彼らは自らの裁判官を有し、・・・・・・ロンドンの市門のひとつの警備に当たりさえした〔cf. Braudel〕。
北欧全域やイングランド、フランデルンでのドイツ・ハンザ商人の優位を保証した諸特権は、ドイツ商人がバルト海での独占的地位をもとに獲得した成果であった。この特権によって防護された貿易システムをつうじて、北欧と西欧諸地域の生産活動と生活が相互に結びつけられ、ドイツ商人とその商品仲介に依存するようになった。この仲介の報酬は、諸特権のなかで保証されていた。商業諸特権の確保と拡大は、経済による支配の現れであった。
ハンザの手による仲介商業は、ヨーロッパの諸産業を単一の物質循環の枠組み――北海・バルト海方面における社会的分業における支配=従属の構造――のなかにはめ込むはたらきをした。とりわけ北海・バルト海沿岸の諸地方は、食糧や原料の補給と生産物の輸出販売については、ハンザの遠距離交易システムに頼るしかなかった。ハンザは諸地方の経済的再生産を掌握していることを盾に、諸地方が自立的な生産体系をつくりだそうとしないように、監視し威嚇した。
そもそも域外や遠隔地での通商をめぐる諸特権の獲得と確保をレーゾンデートルとしたハンザ同盟は、法的に統一された同盟(恒常的・永続的な政治的統合)になることを望まず、自立的な諸都市のあいだの通商同盟を取り結んだ。だから、共通の行政・財政機構、共通の軍事力を組織することはなしに、単にそのときどきの状況に応じた政策ごとの臨時的同盟をつうじて通商戦争を遂行していた。
ヨーロッパ北部の貿易圏ですでに獲得した優位と特権から受ける利益を維持すること、それが有力なハンザ諸都市のねらいだった。都市という政治体が自立的な法的団体としてその特権を維持するための行動をとるのは、中世の政治行動としてはごく当然のことだった。ゆえに、近隣諸侯とのあいだで、その自立性を保証する臣従関係は結んだけれども、周囲の君侯権力への吸収・統合を拒み、その国家形成を妨げたのだ。
ゆえに、リューベックの神聖ローマ帝国と皇帝への臣従は、少しも国家への統合を意味せず、むしろ都市の政治的=軍事的自立の法的表現だった。ドイツにおいては、統治構造としての実体を備えていない帝国への臣従は、周囲の領邦君侯による統制からの独立を意味していた。リューベックはほかの領邦君侯と同等の帝国諸身分 Reichsstände として帝国評議会に都市代表を派遣していた。
ハンザの商館や居留地を結ぶネットワークは、ブリテンからフランデルンを横断し、北ドイツとデンマールクを貫いてノルウェイ、スウェーデンまで達していた。さらに東に向かっては、バルト海東部沿岸から開拓途上のロシア内陸部までおよんでいた。ハンザの船舶は15世紀には、フランデルンからフランス、エスパーニャ、ポルトゥガル沿岸を経て地中海まで航行していたという。
ハンザの影響力はヨーロッパの内陸部にまでおよんでいて、その南限はケルンのマインツとの中ほどにあるアンデルナッハからゲッティンゲン、ハレ、ブレスラウを経てクラカウを結ぶ線にまで達していた。
リューベックが同盟を指導することは、1418年になってはじめて公式に表明された。
リューベックに諸都市の代表を召集しての総会は、最初に1363年に開催され、そののち1440年まで12回、それから1480までに7回おこなわれたという。そのほか事案ごとに小集会を地域的に重点となる都市でおこなった。そのような都市としては、リヴォニアではリーガ、ドルパート、レヴァルがあり、プロイセンではトルンとダンツィヒ、二ーダーザクセン・アルトマルクではブラウンシュヴァイクとマクデブルク、ポンメルンではシュトラールズントとコルベルク、ヴェストファーレンではミュンスター、ラインラントではケルンなどがある。
ハンザの総会にしろ地域集会にしろ、加盟各都市は代表を参加させるかしないかは自由だったうえに、会議で決められた事項もまた各都市を拘束するものではなかった。そもそもハンザは決定方針を各都市に強要する執行装置を持たなかった。だが、ハンザの特殊な権力構造が存在する限り、物質的利害や経済的権力は大きな力で加盟都市の行動を方向づけた。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成