第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第4節 バルト海貿易とハンザ都市同盟
この節の目次
これまでに見たように、貿易構造の転換、それにともなう主要交易路の新たな貿易路線への移動とともに、都市の地位の興亡が生じた。その典型は、たとえばリューベックの後退、レーゲンスブルクの衰退とニュルンベルクやライプツィヒの隆盛だった。
15世紀末にはあるニュルンベルク商人が、大商事会社 Große Gemainschaft の支配人としてポーゼンの毛皮(ポーランド王国)をメヘルンとマーストリヒト(ネーデルラント)の織布との交換を取り仕切っていたという。それからほどなく、ライプツィヒはリューベックに取って代わって毛皮取引きの中心地となり、東ヨーロッパの毛皮を西部に供給する交易の最大の組織者となった。その内陸経路の中継地としてニュルンベルクが働いていたのは言うまでもない
また、ニュルンベルク商人はホラントの鰊を直接買い付けていたが、それは、南ドイツ地方が塩漬け魚や乾燥魚などの海産物の輸入にさいして、もはやリューベックの仲介には依存しなくなったことの象徴だった。15世紀にはネーデルラント産織布のニュルンベルクへの流入が急増したが、その最大の部分がそこを経由して東部に再輸出された。ネーデルラント織布の東欧への販売を仲介していたのだ。さらにニュルンベルクは東部からの物資、とくに蜜蝋の流れを引き寄せるために優遇関税の政策を適用した〔cf. Rörig〕。こうして、ニュルンベルクは内陸交通路による東西貿易の有力な中継点となった。
しかし、このような事態は遠距離貿易の構造においてハンザ時代との特徴的な違いをともなっていた。何よりも貿易量が増大し、商品・貨幣の集積の度合いが高まり、ヨーロッパ全域で金融業が急速に発展していた。とりわけ、中・南ヨーロッパでは銀鉱山が相次いで開発され、都市商業が貴金属産業と密接に結びついた。その典型はアウクスブルクで、その有力な金融商社、フッガー商会やヴェルザー商会はハプスブルク家の御用商人として、オーストリア王室、エスパーニャ王室の財政と癒着し、ドイツ、ネーデルラント、イタリアの金融市場で優位を誇るようになった。
このような状況の変化の背景には、ヨーロッパ世界市場の形成とともにヨーロッパ諸国家体系が構造転換したという文脈が横たわっている。すなわち、従来よりもはるかに強大な諸王権――エスパーニャ、フランス、イングランドなど――が出現し、ヨーロッパ全域を巻き込むような勢力争いを繰り広げるようになったということだ。貿易構造の転換は、ヨーロッパの地政学的状況の総体的な構造転換をともなっていたということだ。
そのなかで、都市ないし都市同盟の側でも大きな構造変動が見られた。それは、ネーデルラント諸都市が独特の同盟を組織して、ハプスブルク王朝の支配に反乱を起こして独立闘争を挑み始めるという事態だ。それまで、有力諸都市は近隣・周辺の有力君侯の領域国家形成――つまり併呑――に抵抗してきたが、いまや政治的=軍事的独立性を確保するために自ら集合的な国家を形成する局面に立ちいたったのだ。
それは、イタリアの都市国家とは質的に決定的に異なる現象だった。そして、ハンザ都市同盟ともまったく違う都市同盟だった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成