第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第4節 バルト海貿易とハンザ都市同盟
この節の目次
15世紀初頭には、リューネブルクはシュテクニッツ運河でリューベックに向けて塩を送り出していた。リューベックからはフランクフルト・アム・マイン、シュトラースブルク、ニュルンベルクを越えて遠く地中海地域、主としてヴェネツィアへいたる道が連絡していた。この街道を通って、プロイセン海岸の毛皮製品や琥珀が地中海地域まで運ばれていた。さらに南北貿易を活発にしたのは、ノルウェイの干鱈とショーネンの鰊で、いずれもハンザ商人ががっちりと押さえて北イタリアまで届けられた商品だった。
ノルウェイは、その干鱈、海産物などと引き換えにハンザ商人から穀物・小麦を買い入れた。この交易関係はノルウェイのハンザへの従属を意味していた。ノルウェイは農業が未熟で、食糧としての穀物の調達を全面的にハンザによる輸入に頼っていたのだ。そのせいか、ベルゲンの商館と住民との関係は険悪だった。
ベルゲンにおいては、ノルウェイ独自の利害などというものは際限なく踏みにじられてばかりいた。この国では農産物が不足していたから、リューベック商人がポメラニア地方やブランデンブルク地方から持ってきてくれる小麦に依存していたからである。ノルウェイは、ハンザ同盟の特権を制限しようとすると、小麦封鎖(たとえば1284年―1285年の封鎖)によって懲罰を受けるのであった。そして、輸入小麦との競争によって自給自足農業の発達が妨げられる度合いに応じて、外国の商人はノルウェイ国民からほしいものを獲得するのであった。すなわち塩漬け肉、ロフォーテン諸島の塩漬け鱈、あるいは干鱈、木材、脂肪、タール、毛皮などである〔Braudel〕。
経済的にも技術的にもはるかにリューベックに遅れていたこの国は、いとも簡単に貿易による従属関係に組み敷かれた。ノルウェイの最も重要な輸出産品、干鱈とバターは、ハンザ商人の独占物となった〔Rörig〕。
スウェーデンは、経済的再生産がハンザに従属していても、ハンザとの関係は穏やかだった。というのも、スウェーデンの主な諸都市はドイツ商人たちが彼らの通商戦略に即して建設したからだった。スウェーデンの主要輸出品は鉄と銅だが、その鉄鉱と銅鉱の鉱山開発を進めたのはドイツからの移民商人層で、リューベック出身者も多かった。ゆえに彼らの永住や同化も進んだ。
鉄や銅と引き換えに、ハンザ商人はフランデルン産の毛織物やリューネブルク産の塩を供給した。塩は魚類など海産物の加工や保存食の生産に不可欠だった。ヴェンデ諸都市による塩供給路の独占は、ハンザによるスコーネの塩漬け鰊市場の支配をもたらしていた。王室の財政収入もハンザ――商人団体への特権の見返りとしての税や賦課金の上納――に依存していた。つまり、スウェーデンの経済的再生産と社会生活は、ハンザが設計して組み上げたのだった。
こうして見ると、流通は生産の派生的=従属的要因ではないし、仲介貿易は製造業や農業、鉱工業の従属的要因ではなかった。むしろ仲介貿易は、諸産業の生産物の流通経路および食糧や原料・生産資材の供給経路ならびに販売経路までを組織し掌握することによって、さらには前貸し=金融的支配などによって、諸産業の命運を握ることになったのだ。
ハンザ商人は、西ヨーロッパで不可欠なバルト海や東欧の物産の取引きを支配することによって、西欧最大の商品積み換え地ブリュージュでの優越的地位を獲得した。バルト海や東欧にとっても、特産物をハンザに引き渡すことは、食糧や衣料品などの生活必需品を手に入れる不可欠の条件だった。
こうして、ノヴゴロドからブリュージュにいたるまで、ドイツ商人の手によって、1つの独特の強固な貿易構造がつくりだされていった。北東部ヨーロッパは、ドイツ商人たちの手によってはじめて1つの重要な経済的システム=ユニットにまとめ上げられたのだ。西部は高度に発達した工業地域として、東部は当時のヨーロッパの植民地域にして余剰食糧や原料物資の供給地として、そしてロシアの北西地帯は毛皮や獣皮の供給地として。
このような多様性のなかにこそ、商品の媒介を支配していた商人、つまりハンザ商人にとって、並外れて有利な利得のチャンスがあったとレーリッヒは言う〔cf. Rörig〕。だが、多様な選択ができたのはハンザと西欧の有力諸都市だけで、それぞれの特産物を生産している北東部の諸地方にとっては、ほかの選択肢を奪われ、ハンザの言いなりにモノカルチャーや少数品目の生産にたずさわるしかないという状況だったのだ。
地域間、地方間の貿易品目を大雑把に眺めておこう。基本的には、西と東、北と南の産物の交換ということになる。
ロシアからの輸出品は、熊、貂、黒貂、かわうそ、ビーバーの毛皮、蜂蜜、蜜蠟
ポーランドからは、ピッチ、タール(瀝青)、木材
プロイセンとリトゥアニアからは、穀物、木材
スウェーデンからは、バター、チーズ、精錬した鉄と鋼、銅、鉄鉱、銅鉱
なかでもスコーネからは、バルト海ニシン、塩漬けニシン(樽詰め出荷)
ノルウェイからは、干鱈、棒鱈
イングランドからは羊毛と布地
フランデルン、北フランスからは羊毛織布と絹織布
これらに加えて、レヴァントで買い付けたアジア=オリエントの陶磁器や胡椒、香料、あるいは南欧諸地方からブリュージュの市場を経由して買いつけられた奢侈品、香辛料などが――富裕階級が多い有力諸都市を中心に――ヨーロッパ中に売りさばかれた。
さらに、エスパーニャ、ポルトゥガル、イタリア、西フランスで買い付けたワインをイングランドや北欧に持ち込んで販売した。
ところで、海運業者たちは、船体姿勢の安定化のために船腹・船倉に積載してバラストとして使える商品として塩や穀物を利用した。ことに重宝がられたのは、フランス西海岸の海塩だった。船団は春になると多数の商船団がフランデルンの港を出て西フランスに向かい、塩を積み込んで4、5月にはバルト海に戻って沿岸各地に売りさばき、冬にならないうちにバルト海沿岸の穀物を積んでフランデルンに帰港したという。
14世紀後半頃についてハンザの帆船の輸送量の推計によると、フランデルンとリヴォニアのあいだを毎年、船体総重量で6~8万トンにのぼる1000隻余りの帆船がおよそ20万トンの商品貨物を積載して航行していたという。海運の粗利益率はときには40%ないし60%に達することもあったが、平均して30%前後だったと見られている。だが、経費や戦争や海難によるリスク=損失を加味すると、この節の冒頭近くで見たように貿易業の利益率は5%から10%未満だっただろう。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成